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2006年7月

2006年7月31日 (月)

060727_135001_1今日で7月も終わり。やっと梅雨が明けたとか。こちらは、神奈川県立近代美術館の中庭にあった彫刻です。日だまりに佇んでてほっこりした気持ちになりました。

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2006年7月30日 (日)

Dscf1292Dscf1289かわいいわこの桃のかたち。
今年はいくつ桃が食べれるかな。
バウムクーヘンのデルベアさんのオープン冊子とHPにも少しイラストを描かせていただきました。やさしい味わいで美味しかったです。おすすめです。

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2006年7月29日 (土)

枇 杷

Dscf1287Dscf1288もうそろそろ枇杷も終わり。ということで千葉県 房総半島の枇杷を贅沢して買ってみた。枇杷っていう字が奇麗。種がやたら大きくて果肉がちょっとしかないのが憎い。来年までさよなら〜。
引っ越しの計画をたててみた。もうっちょっとしたら荷物をじゃんじゃん処分しよう。そうしないと動く気になれない。もう随分捨てた気でいたけどまだ大分ある。どんどん身軽になってくのは気持ちがいいけど、あのCDやら本はやりすぎたと後悔してるものもある。360度見渡し、荷物をみてみると生きてくためには結構な授業料がかかるなあと納得。手もとにある何から何までの荷物、何を捨てて何を残すのか選択していくと自分がわりに見えてきて、ちょっとした自己分析ができる。引っ越しはちょっとした自己分析になる。というか大いになる。

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2006年7月27日 (木)

モノクロームの世界

060727_133705060727_133702今日は、モノクロームの世界に憧れてはじめた習い事の帰り、モノクロームのコラージュとエッチングの造形が気になる彫刻家、エドゥアルド・チリーダ展を観に神奈川県美に行きました。く〜〜ぅ、えがった〜。一枚買いたかった。買えるはずないけど。ぎゅーっと心を掴まれる作品に出会うと、それを所有したい気持ちとか、見惚れてしまう質感やら美の塊に嫉妬の念やらなんとも言い尽くせない気持ちなどが沸々沸き上がってくる。絵は一目惚れで時々買う。家に持って帰りたくなる。しかし、作品は所有したところで所詮、やはり所有できないものでもある(共有はできたとしても)と、今日の展覧会を観て思った。

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2006年7月26日 (水)

つれずれ

Dscf1275先日、我が家に滞在されてたお客さん。かわいいね。岡本太郎記念館の中で。この子自身が太陽みたいで、絵や音楽の話してても目線がくっきりしてて、絶えずハッとさせられたものです。

たまに区の体育館で行われているエアロビクス教室になるたけ参加してる。最初はついて行けなくて、しどろもどろだったけど最近ようやくなんとかかたちを真似ることができてきた。とはいえ、音楽に合わせ人々に混じって大きな鏡に映る自分の姿観て、吹き出すこともしばしば。よくみんな真剣にやってるなあと思ってたけど、最近私も目つきが変わってきた。これ、絶対知り合いに見られたくないと思いつつ、なるたけ鏡見ないように思いきりやってる。画人の原康浩さんの展覧会でネット購入した虜Tシャツなんか着て、やる気まんまん。

東京の国立から横浜まで随分飛んだけど、あと半年もすれば2年になる。そろそろ次の街に引っ越ししようかと思う。今度はまた東京に戻ってみようかな。今の住まいもほとんど東京だけど。

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2006年7月25日 (火)

プリミティブなもの

Dscf1248今日は代官山にアロマに行って、その足で恵比寿の小山恵美子さんの展覧会を観に行きました。前から子供が描くようなのびのびした絵に惹かれていて、ようやく生で観れました。色がとっても奇麗だったし、力強かった。帰国子女が描いたような色とスピリッツを感じる絵だった。土の匂いがするようなプリミティブな絵に弱い(掛値なしに惹かれる)。そのあとHBギャラリーでイラストレーターの鹿野ちゃんと久しぶりに逢う。鹿野ちゃんの赤ちゃんの桃子ちゃんも、まんまプリミティブでぎゅーっと惹かれた。子供は存在自体がプリミティブでキュートでとっても力強い。

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2006年7月24日 (月)

時代性とか音楽のこととか

04_dm土曜日からかわいらしいお客さんが来てました。その子が音楽が大好きで、久しぶりに音楽の話で盛り上がりました。彼女は14コも年下で全く世代が違うのにめちゃくちゃ音楽に詳しくて、しかも音楽の趣味が似ててびっくり。今私が音楽に夢中だったら、間違いなく一緒に音楽活動してただろうなって思えた(笑)。大方処分したCDの中から残ってた数少ないアルバムを取り出して、じゃあこれは知ってる?この人のこ曲すり切れるほど聴いたよ、この人の声いいよねえ、この楽曲がうんたらって延々、久々にうちのステレオも活躍した。20代の頃はロッキン・オン・ジャパン読んで、音楽にライブに意見を交わしたりの青春の日々だった。ジャパン(ロッキン・オン)を読むことや、音楽を聴くことのほうが、どんな政治家の話や難解なことに触れるより、率直に今の世の中で起こってることや痛みを推し量ることが出来た。ジャパンと音楽は時代のバロメーターのようなものだった。なんやかやその子と長らく音楽を引っ掻き回して聴いたり、感じてたことを聴いてたら、影響を受けてるその子の感じ方、当時一緒に音楽の情報交換してた友達の事など思い出してきて、相当私たちも音楽に救われてきたし、生き方も影響されてきたなあと振り返った。今も、音楽から時代を感じ、影響受けてる。
その女の子と青山にあるHBギャラリーで開催されているイラストレーター、トヨクラタケルさんの展覧会を観に行きました。そもそもその子は大阪からはるばるこの作家さんの絵を観るために上京されてたんですね。展示されてる作品はそれ自体が一つにまとまって、独特の世界を醸し出していた。奇麗だし、力強いし、画面の中に不思議なストーリーがあってその世界に引き込まれる、どの絵もとても魅力的でした。何より時代へのメッセージ性が強い。作家はどのような環境で、どのような衝撃を受けて何を感じながら生きてきたのだろうか。静かだけど会話や音が聞こえてきそうな、今にも動き出しそうな子供たちの設定された場面を見て思わずにはいられない。パッと見可愛いけど、とても、笑えない。こちらに真剣に問いかけてくるし、観るものに考えさせる、想像させる行間がある。描かれているものはブラックだけど、そこに流れているものはマイナスやネガではない。どういう表現手段であれ、相手に考えさせる作品ってすごい(つよい)って思いました。個人的には内在するものがポジのほうが共感しやすい。二人でじっくりゆっくり観覧でき、時代を感じられるとてもいい展覧会でした。とにもかくにも音楽に影響され、音楽の話で盛り上がることしきりのなかで。

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2006年7月20日 (木)

小舟 バッテラ

Dscf1246寿司屋の店頭で買う寿司は決まってバッテラ。田園調布の散歩途中、ベンチに座って野外食いした。これがとても好物なのよね〜。

「バッテラとは、しめ鯖の押し鮨。しめた鯖を鮨板に乗せ、棒状にして竹の皮で包んだり、箱型に入れたりしたもの。バッテラの語源は、ポルトガル語で小舟を意味する「bateria(バッテイラ)。明治26年(1893年)頃、大阪順慶町の鮨屋がコノシロの片身を鮨に乗せた形が、小舟に似ていたため「バッテラ」と名付けられた。これが鯖寿司に応用され、次第に〆鯖の押し鮨を「バッテラ」というようになった。江戸時代の文献にも「バッテラ」や「バッテイラ」の語は見られるが、「小舟」の意味以外では用いられていない。」語源由来辞典より。

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2006年7月19日 (水)

さすがだわ春樹さん

ようやく海辺のカフカを読み終えた。今日まで山場の仕事があったため一日2章、多くても4章まで、あとは移動中にと決めて一週間かけて49章を丁寧に丁寧に読み終えた。この長編小説を読んでるあいだ、とても充実した日々だった。小説の力だ。途中、何回か注意深い文節を読み返し、イメージできるまで先に進まないようにした。できる限り想像力を働かせ、味わって読んだ。理解できないところは考えたり、辞書をひいたり。今日はずっと移動中読んでいたのだが、物語もいよいよ下巻の終番、クライマックスに差し掛かり、電車を待つ間、駅のベンチで鳥肌が経つわ、電車の中で涙ぐんでしまったりもした。私が受けた印象は「世界の終わり・・・」よりぐんと進化している村上ワールドだった。文体も今までとは変わっており、内容も世界の終わりの時よりもっと深く、大きく、私にはこちらのが書いてあることが分かりやすく感じた。作家自身が変わったのだと思う。世界の終わりの時に言ってたのはこういうことだったのかと思った部分もあった。著者が言うように自分が書いてしまったものはもう過去のもので読み返さないというのも分かる気がした。世界の終わりのがもっと若い。この作品を読んでみると世界の終わりのことが見えるようになる。読んでる間、ずーっと自分の中に入っていって、自分のことを考えながら進んでいった。わかるわかる、意識の部分をいってるところがある。自分の中にしかなんで意識は存在しないのだろう、なんで他人の中に自分は存在しないのだろう、この中に入ってるのだけが自分なんだろうか、そういうこと幼少の頃に考えて寝れなくなったのをよく覚えてる。そのように、肉体の中にある意識というものについて改めて考えてみた。登場人物のこの世との繋がりかた、それぞれが重なっていく部分、終わり方、そして最後の文節の復唱のところがザーっと大きく鳥肌がたった。トータル的に、完成度が高くとても素晴らしい作品だった。さすがだわ村上春樹、と唸った。これをリアルタイムで読んでいたら期間限定「海辺のカフカ」ネットに著者に投稿してただろうか。以前、村上春樹が地下鉄サリン事件を追いかけて書き下ろしたノンフィクション作品「アンダーグラウンド」の執筆中、最高裁の林被告裁判の日、私もその場にいて席が隣合わせでお見かけしたことがあった。場所が場所だけにあまりじろじろも見れなかったけど(話かけたかったくらい興奮してた)、とにかく作品のファンだったしそりゃあ耳をダンボにして編集者との会話聴いていたっけ。その裁判は午前中で終わった。私は最高裁判所の食堂で食事したけど、やっぱり春樹さんは外でうなぎを食べたのだろうか。裁判が始まる直前にも、たまたま入り口のロビーで厚い文庫を読みながら一人で座ってる春樹さんを見かけた。真ん前に座ってたものだから私はじろじろ見てしまい、途中サングラスをかけてしまわれた。あの時、手にとっていた分厚い文庫本は絶対ドフトエフスキーだと決めつけていた。いつも読んでるんだ。あの作品と決めつけていたけど、「やはりあれはドフトエフスキーのカラマーゾフの兄弟だったのですか?」と投稿したかったかも。もう二度と、あのようなネットツールは開催しないらしい。残念だ。でも、また逢える気がする、なんでだろう。

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2006年7月17日 (月)

静かな休日

やっぱ休日はいいなあ、街が静かで。今日は、ぬか床をつくり大根を漬けて冷蔵庫で寝かせた。始まってしまった、生き物を飼う感覚だ。これから毎日、朝夕2回以上はかき混ぜないと。手作りのぬか床は本当に美味しいから、面倒だけどやっぱり作ってしまった。何が一番好きかって、茄子のぬか漬けだ。あれが食べた〜い。それからスルメイカが安かったので3枚買ってきて、身を開いて塩ふって一夜干しにしてる最中。明日しょうが醤油に漬けて、焼いて食べる。昨日は海鮮マリネを作った。冷蔵庫で寝かせてある。これにトマトをたくさん入れると美味い。トマトをこうやって酢味に浸けるとこんなに美味いとは。ちょっと箸が止まらなくなった。あとは、掃除して仕事して本を読んで昼寝してテレビみて、掃除して仕事して本読んで終わり。今日で連休が終わってしまうなんて〜。

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2006年7月15日 (土)

もろこし

Photo_23_13連休ですね。仕事です。先日、香来という名のとうもろこしを千葉県の房総半島から取り寄せしました。ちょっと今ひとつでした。上品な味わいでよくあるもろこしの味でした。もっと実自体の味が、はちきれんばかりにみずみずしい土の香りのしたやつのが好きです。上品というのではなく土くさいやつ。写真では見た目ははちきれんばかりですが。しかしとうもろこしって好きなんだよなあ。塩かけて食べたらほんと美味しいよねえ。

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2006年7月13日 (木)

エコ指針うなぎ

Dscf1236近所の新横浜にある有名なうなぎやに行ってみた。身は柔らかかったけど、何かが足りない。しゃりが熱すぎるわ、たれも少なめで肝吸も味気ないわ、漬け物は塩分が足りないを通り超してぼやけてる。接客も不可解でもう行かない。良かった一番安いうな丼にしといて。 海辺のカフカも読んでることだし、こうなったら重箱に入った、とことん美味いうな重が食べたくなってきた。
うな丼の文句とは関係ありませんが、うなぎは海と川と森をつなぐ生き物です。
うなぎはその地域の環境の善し悪しを計る指標生物の役割をしているらしく、うなぎがたくさんいる地域は、森から海までの環境がいいということらしい。つまりエコ指針なわけです。すべての生き物がエコ指針ではありますが・・・。
森と海をつなぐのが川なので、川をすみかにするうなぎは川の環境を一番影響受けてしまうのですね。
川で生まれて海で育つ鮭に対し、海で生まれて川で成長するうなぎ。夏が終わると産卵のため海に向かいます。海と森をつなぐ川の環境(陸の環境)は年々悪化してるため、当然ながら海に産卵しに行くエコ指針のうなぎもいません。養殖に頼らずにはいられないわけですよね。写真のうなぎは宮崎産ということですが、海で生まれて川で育ったのか?いや、そりゃあないだろう、99%養殖。当たり前か。

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2006年7月11日 (火)

片口鰯(かたくちいわし)

Dscf1149Dscf1152好物の鮨、この季節は特に鮨屋に行きたくなる。脂がのった光り物が美味しい季節。
その中の一つ、鰯(いわし)。今が旬ですね。真鰯(まいわし)、片口鰯(かたくちいわし)、潤目鰯(うるめいわし)とありますが写真の小振りな煮干しにみえる魚は、5月〜8月が旬の片口鰯(かたくちいわし)です。時々、東京のスーパーで見かけると、買いだめしてきます。下ごしらえして冷凍保存したり、ベランダで天日干にしたり、梅煮にしたり。田舎のほど美味しくないけど、天然もので考えたらこんなに安い魚はないってくらい、重宝します。
写真のものはこないだに実家のバッチ船曵き漁に入ってきたもので、塩ふってさっと天日干しにして(カリカリになるまですると煮干しになります)、柔らかめのじゃこにしたものを送ってもらったもの。半生じゃこのこの容姿、シルバーの部分と黒い背中の部分も奇麗だなあって見とれます。これがまた海水の美味しい塩分がよく効いて、内臓とって下ごしらえして干してなんて手間ひま考えず、手で摘んでパクパクいくらでも食べてしまいます。大根おろしでこのようにいただくとさっぱりしてまたイケる。ごはんもなしにお八つのように、皿にも取り分けず、送られてきたままの姿でがっつくき平らげてしまうほど美味い。
片口鰯の名前の由来は、口の上部が下部に比べて極端に出っ張ってるからだとか(写真は頭がありませんが)。背中が黒いので背黒鰯とも呼ばれています。実家のほうではヒシコとも呼ばれています。これは他方でも呼ばれているようです。片口鰯の稚魚はしらすで、たたみいわしもそうです。英名は「Japanese anchovy(ジャパニーズ・アンチョビ)」。一か月ほど塩漬けにし、更にバージンオリーブオイルにつけたらそりゃ〜ん〜まい。スーパーでよく見る缶詰よりナイスなアンチョビが作れますね。
真鰯と同様、梅で似たり、煮干しのほか、縁起物のたつくりにしたり、またこちらの片口鰯は身に歯ごたえがあるので、刺し身にした時には3種の鰯の中で一番おいしいとも言われています。漁獲量の激減で庶民の魚が高級魚となりつつある近年、片口鰯においてじゃ年毎の増減は激しいのですが、長い目でみて横ばいと言われています。真鰯のような高級魚になってしまわないことを祈るばかりです。

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2006年7月 9日 (日)

水で溶く絵の具

Dscf1235久しぶりに水彩絵の具を仕入れに行った。
ウインザーニュートンは素晴らしい。昔は高嶺の花で手が出なかった。
一番よく使う色は、白(でも白は安いホルベインのやつにしてる)、次に黄色、次に赤、ブルー。今回は赤と青にこだわった。目がさめるようなコバルトブルーとやわらかめのセリアンブルーの脇にマンガネーズブルーってのがあった。カドミウムレッドとともに買った、色合いのいい赤、クイナクライドーン?よく読めない。梅雨時のグレー色の中、ウインザーニュートンの絵の具を水で溶かして紙の上に置いたとき、目が醒めるほど色が綺麗です。

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2006年7月 6日 (木)

デルベアのバウムクーヘン

1_32_2バウムクーヘンって美味しいよねぇ。こちら奈良県にある近久オープン、デルベアさんのバウムクーヘンのお仕事をさせていただいてます。タヒチ産のバニラにカルピスバター、国産のオーガニックレモンetc、厳選された天然素材たちで一枚一枚層を成して焼かれているクーヘンの砂糖は和三盆ですって。清潔感の漂う真っ白い箱を開けるとアーモンドとバニラの香りがプーンと立ちこめて、ほんわかした気持になりました。一口切っていただくと繊細でやさしい味わいがしました。とても美味しい。一層一層、心こめて創られてる様子、伝わりました。写真は厚く切ってしまったけど、もっと薄く薄く切るべきなんですって。

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2006年7月 5日 (水)

朝 日

Pict0424_1Pict0427_1Pict0442これは3月下旬、まだ肌寒い、三重県は伊勢湾、小女子漁の時の海です。朝5時半すぎ。
結構よく撮れていたんだ〜。
船から撮った海と太陽です。
刻一刻と変わる自然の色も
隣の船が船体に太陽の光を浴びている姿も、大海原の上を走る
その時の滑走感、体温、風音、波音、海鳥の群衆が間近に感じられる。
何より、音が甦ってくる。

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2006年7月 4日 (火)

文 体

文学というか活字の話になると、必ず「あの文体が好きなんだよ」なんてことになるんだけど、ところで文体ってなんなんだろう?前から気になって仕方なかった。前からというより活字を読む度にだから、ほぼ毎日疑問に思ってたことになる。自分にとって麻薬に思える文体がある。自分にとってとても心地いい文章。「文体って一体なんなんだろう」考えた。
息を吸ったり吐いたりする呼吸みたいなものなんじゃないか?、つまりその人特有の息のしかた?
思いめぐらせていたら・・・「海辺のカフカ」を読みたいのだが、読み出したら中毒症状がでてしまい何もできなくなってしまいそうで、今はそうなると困るので先ずは仕事の合間や移動中に気軽に楽しめる、海辺のカフカの読者と村上春樹がメールでやりとりした記録の集大成である「少年カフカ」を読んでいるのだが、その中に、文体について村上春樹自身の見解が記されてる箇所があった。この本のなかでは珍しく長く解説されていて、とても腑に落ちた。繰り返し何度も読んだ。附箋も貼った。
その中の一節に、『文体というのは、英語ではstyleつまり「姿勢」と置き換えてもいいのではないかと思います。でも僕はむしろ「生き方」のほうに近いと思います。歩いたり、息を吸ったり、そういう生きることすべての総体です。〜中略〜 生き方が変われば文体も変わります。だから文体を見れば多かれ少なかれ、大体その人の人柄はわかります。〜中略〜 僕が文体としてこれまでに強く惹かれた〜中略(作家達)〜 影響を受ける受けないにかかわらず、その文体に惹かれるというのは、言葉を変えれば、その文学的姿勢に惹かれるということなのです。(少年カフカ(新潮社)より引用)』とあった。
「生き方」かあ。確かにそうかもしれない。文体からかもし出すその人自身の生きる姿勢に私は惹かれていたのだ。作家のNさんが言っていた。「文章って出てしまうんだよ」って。生き方というか生き様の片鱗がでちゃうんだろうなあ。自分のものにも。怖い・・・。
そして、別の項で昔の作品のほうが好きだったと投稿している読者に対し、あなたの年齢が若いことも理由にあると記されている。若いときは若い文章を書くし、年齢を重ねれば年齢を重ねた文章を書くものだと。また作家(村上春樹)自身は自身の過去の作品に対してもうそんなに興味をもてない。別れた彼女と同じで思い出すと胸が温かくなるが、逢わないほうがいいだろう、再会してももう元には戻れないのだからというような解答がなされていた。これは絵でも同じだ。もう描けない絵ってある。キラキラして懐かしいんだけど、もう戻れないのよね。
そして最後に「好むと好まざるとに関わらず、それが人生です」で締めくくられている。人は変わる。生き方が変われば当然、文体も変わるよね。人間が変われば絵も変わるように。今日は昨日の自分じゃないし、明日は今日の自分じゃない。ということは文体はこれからその人が生き続ける限り変化して行く、その人自身ってことになる。ということは、当然、文体の好みも変わっていく(ことはありえる)ということになる、のですね。文体はその人自身と解釈した。

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2006年7月 3日 (月)

豊かな休日

Dscf1158写真は希望ヶ丘にあるマイナスイオン充満の森林地帯。
昨日は家の中でずっと音楽聴きながらお稽古ごと練習をやっていた。柄にもなくもらいもののショパンを聴いてたら全くノラない。もう2回聴いてるけどこれ合わない。モーツアルトのが全然いい。それから矢野顕子のCDが入っててそのまま聴いてたら夏だし合わない。奥田民生にしたらいきなり盛り上がった。やっぱり夏は民生だわ〜、ロックだわ〜、なんて全く最近音楽から疎い生活のクセに。
「海辺のカフカ」がノーベル文学賞をとるとかとらないとか。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の続編と言われてるそうだが世界の終わりは、マイベスト3に入るほど、かなり思い入れの強い作品だ。あまり長編小説なんて読まないし、読み返すことはない。でも世界の終わりは読み返したし、アンダーラインも引いたし、気になる箇所は折ってある。何年かに一度ひっぱり出して、拾い読みする。そんなに好きな作品の続編と騒がれているのに騒がれすぎてて読んでなかった。で、今頃無性に読みたくなって、図書館に予約したけど随分先になりそう。かなり凝った装丁と本のつくりらしいので、ハードカバーで買おうかとも思う。ネットで片っ端から海辺のカフカについてかかれている記事を拾って読んだ。ん〜、久しぶりに村上作品ワールドにのめりこんだ。引用やレビューだけだけど。この作品を書いたあとの作者のコメントが新潮社のページに掲載されててとてもよかった。「レインマンが床に散らばったおはじきを数えるとき、まずそこにある光景を静止したビジョンとして自分の頭にぱっと焼きつけてしまうんですね。いちいち数を数えたりはしない。小説家というのはそれとだいたい同じようなことをやるわけです。」これは画家や写真家も同じようなものだと思った。いちいち説明しないし言葉にできないものをそこに表現しようとする。いろいろサーフィンして少年カフカも同じく引用とレビューを読み一日が終わった。この作品たちが発売されたのは2002年。もう4年前のことだ。作品は生まれる時の意味(時代性)があるし、時代を孕んでいるので、その時、旬に読むのが一番いいのだが、仕方ない。夜は日曜美術館でジャコメッティの再放送がやっていた。見送ろうと思ってた葉山の神奈川近美での展覧会、やっぱり行こうと思った。今回は彫刻以外に絵画やデッサンが多く来ているらしい。彫刻家や建築家の描くデッサンやドローイングは、画家が描いたデッサンやドローイング以上に心が惹かれる。特に彫刻家。

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2006年7月 2日 (日)

文月のはじめの休日

1_2Dscf1184_1またペンの話だが、そういえば、伊東屋で働く定員、いろんな階で細々買い物をしたが、会計の時にサインをしたけどみんな制服の胸ポケットにペリカンのスーベレーンのボールペン挿していて、客のサイン時に差し出していた。あの姿には敬服した。あれくらいの重みがあるペンでサインするとこちらも身が引き締まる。挨拶のお辞儀も45度以上腰が曲がっていた。あの社員教育素晴らしい。 
これが先日買った藝術新潮。このジャコメッティの特集の表紙にコロッと。そして中は旧柳宗悦邸に長新太の特集もある。買いだよね。藤原新也の新刊が気になって仕方ない。立ち読みするか図書館で借りるか買うか。読みたい本がいろいろある。内容ももちろんだけどだいたい小説など活字は文体で選ぶ。文体が合わないと最初からずーっと違和感があって、それは読み終わるまで続く。あれは一体何なんだろう。活字は内容より文体の力のが大きいかも。というか、私は好きな作家というと文体が好きな作家ということになる。
明日は習い事の日なので今から自宅練習しようと思います。

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2006年7月 1日 (土)

朔 日

今日は文月の朔日(ついたち)です。雨。
昨日買った2つのペン、机の前に飾ってあります。嬉しくて何回も万年筆、インクつけて書いた。この万年筆が欲しいがために本来ならいいボールペン購入が今年の目標だった(今回買ったアウロラのボールペンもいいし素晴らしいけれど)、見送ったペリカン スーベレーンのボールペン、あれやっぱすごい欲しい。あの書き味。持ちやすさ、デザイン。一度味わったら頭から離れない。でも来年だなあ。ペンの世界をひとたびを知ってしまうと、えらいことになるんだなあと思い知った。まだ触ったくらいで追求するつもりはないけど。キリないし、これらのペンを持つにはちゃんとしたペンケースもいるし、一番は人間の内容が要求される。持ち物、こういう重厚感も大事かもなあ。こういうものを持ってるともろもろ、後からついてくるものかもしれない。今年の自分への示しにする。
そんなこと考えながら今日は、青山と六本木AXISにギャラリー観覧とウインドウショッピングに出かけました。ピンポイントギャラリー、良かった〜。

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