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2006年11月 3日 (金)

銀の光輝 浅野弥衛の世界

Dscf3120_1Dscf3103_2Dscf3100_2Dscf3099_3Dscf3104_1Dscf3101_2Dscf3119_4Dscf3105_3Dscf3111_1Dscf3117_3Dscf3109_3Dscf3108_1今日は日帰りで田舎に帰っていました。没後10年記念、現代美術画家・浅野弥衛展を見るためです。午後からのトークショーに参加し、本日と明日解放されている生家、アトリエも鑑賞してきました。弥衛の母校である神戸小学校の体育館に100点以上の原画が展示されていました。ひっかきの技法や田畑を抽象的にとらえた作品に装丁の仕事など、見応え充分。絵画の近くに添えられた語録。とりわけ弥衛の次女、文筆家の故・浅野美子の弥衛をとらえた語録の数々が印象的だった。中でも、「夕刻になると父の呼ぶ声がする、『奇麗な夕日がでとる、はよう来てみ』と。『なんや、昨日のと(昨日の夕日と)変わらへんやないの』とこたえる私に、『そんなつまらんこという人間に育てた覚えはない』」
細部の表現は違っているけれど、こういう内容のものだった。

また、心に残った浅野弥衛自身の語録のひとつ。
「絵が解るというのは、リンゴが描いてあるとか、バナナが描いてあると判るということでは全くありません。絵に何か感じることができるかどうか、ということです。私の作品に何も感じなかったら、それは私の作品とその方に縁が無かったか、私の勉強不足ということでしょう。」

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