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2007年4月18日 (水)

救 済

Dscf4196大学はあまり行ってなかったけど卒業年に担任になった先生がファインをやる人で、絵を買う事について触発された人でした。絵を買うことでアートに参加するとかなんかおもしろい事を言っていた。実際私が絵を買う様になったのは卒業してからで、今ではお金さえあれば展覧会ごとに買いたいくらいだけど、時々絵や版画や陶芸やオブジェや、なんでも作家の作ったものを惚れると買うようになった。その作家を残したいという応援の一票と所有したいという行為で。絵は不思議なパワーを貰う。家に持ち帰ってくると生の絵ははやり作り手の気持ちがじんわり伝わってくる。毎日違っても見える。今、とても気になるファインの作家がいて、画集を眺めてはこんなの絶対描けない、どういう境遇で育ってきたんだろうかとかいろんな事を考える。生で見れる機会もあるのだけれど、昨日、その作家の絵の事について考えてみた。こんなに気になると自分は買う確率が高いのだけど、買うか?と考えてみたら買わないということに気が付いた。すごいアートなのだけれど、その絵が自分の部屋にあるところがどうしても想像できない。その作品の中に自分がいない。自分が救済されないのだ。それは生だから印刷だからということではなかった。印刷の画集も長らくみていることがしんどくなっていた。作家は描きまくることで(まさに描きまくると言う画集)自分を救済してるのだなと伝わってくる。しかし、見ている自分は癒されない。何度でも言うけど、すごい力のあるアートなのに。作品(作り手)と鑑賞側は相性がある。そのことで考えてみたけど、私が買いたくなる作品は、やはりどんなに尖っていてもそのなかに、その作家自身に、私が感じるヘボさ(ダサさ)があるものかなと思った。

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