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2007年6月

2007年6月30日 (土)

自分志向

070625_171101_1最近頭に浮かぶ言葉。というか目指すところ。自分勝手なくせに他人志向な自分がよくいる。我がままにならなくてはいけないところや大切なところは自分志向であるべきところなのに、人にどう思われるかとか、人の顔色を気にしている他人志向な自分。そういうとき、相手にではなく自分に嘘をついていることが気持ち悪い。し、自分に失礼だなと思う。「自分志向」と「他人志向」のバランスが正反対の友達がいて、そこ子のはっきり嫌なものは嫌、食べたくないものは食べたくないというNOが気持ち良くて惚れ惚れする。空気をにごすのが嫌と思ってもにごったと思うのは一瞬で、あとは逆に空気がきれいにすらなる。言えないことをひきづってるほうのがよほどか気持ち悪く、にごった空気は自分の中にあって、そんな事を延々とNOと言える友達と考えた夜でした。その場合のNOは自分勝手ではなく、勇気のある自分志向のNO。

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2007年6月28日 (木)

消費の選択で救える未来

070619_155801長い間自然と対話して来た89才の漁師が言う。「もうこの地球を元に戻すことは出来ない(手遅れや)。100年かけてやってきたことを元には戻せない、ただ、食い止める事は出来る。」と。山と海の間の人間たちがやってきたことが一番自然に影響する。その真ん中に住む人たちに返ってくるのならまだしも、何の罪もない、海や山で生計たててる人たちを苦しめている。
人間と地球の関係は、人間のからだと癌細胞に似ていると誰かが言ってた。人間は地球からみたら癌細胞で、人間が誕生して何千年かの間に地球の破壊はものすごいスピードで進んだ。癌細胞が生きこりたいと思えば地球は滅亡することになり、地球が生きのこりたいと思えば癌細胞を滅亡させなくてはいけない。共生するのなら人間が地球に合わせなくてはいけない、ということになる。どうやって?
それは消費で生きている私たちの日々の選択だと思う。何に消費、何を消費するかの積み重ね。日常の暮らしのなかの一挙一動から一歩外にでた時の交通手段一つの選択に至るまで。お金の使い方もそう。国産の食料を購入することで、日本の自給率を高めることができる。日本の職人たちを残すことができ、海外からの無駄な交通エネルギーの削減、CO2の削減にもつながる。国産食料を買う事で地球温暖化の防止につながるわけだ。
食事をする店ひとつにしても、この店を将来残したいか?と思うと、チェーン店より個人経営でコツコツ地味にやってる地域のお店にお金を落としてあげたいと思うものだ。この一回分のお茶のお金を震災地方の募金に回すなど、一人一人の意識が変わって行動が積もれば、地球環境や温暖化は食い止めることができると思う。一人一人の消費の選択が社会をつくり、日本をつくり、世界をつくり、地球を救済していく。

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2007年6月27日 (水)

目指せワンマン・マイナス10〜20%!

Dscf4621ってことで、クーラーはもう10年近くつけたことないので引っ越し先々の住まいにはクーラー設備だけど触ったことなく、クーラーなくていいから家賃下げてくれ〜って感じです。例え40度になったとしてもつけないだろうな。つけたら地球が余計熱く悲鳴上げるなら、自分さえ不愉快でなく我慢できるならつけない。クーラーをつけないことが自然になると、つけることが不自然な感覚になるからクーラーのかかってる店に長居できなくなる。体感温度が狂う。水ねえ。水は一滴でも無駄にするな、と口うるさく親に育てられてきたので、洗濯はなるたけ手で洗えるものは洗い洗濯機は使わないように特にこの干ばつ時期は気をつける。風呂水も最低限で、食器洗いも手荒いの最低限で炊事もそうで、あとはなんだー、冷蔵庫だ!一人でこの大きさの冷蔵庫はいらんだろと最近罪悪感がある。電気も酸素消費するからってうちは白熱灯は一切使わなくなった。もっぱら蛍光灯。このパソコンも朝と夜だけのメールチェックであまり使わない様にするとか?ってかんじでちりつも、電気代更に月500〜1000円減ったよ〜、地球ちゃん。

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2007年6月26日 (火)

昨日の夕ごはん

Photo_3イラストは群馬県名物、焼きまんじゅう。醤油たれをかけながら焼くのだそう。
ごはんはわりにちゃんとつくっているほうだが、ここ何ヶ月かは、空いたお腹が満たされたらとりあえずいいだろ志向の食事をしていたので(といっても米粒だけはほぼ毎日食べていた)昨日は久しぶりにちゃんとおかずを作った。三重県産の鯖が売っていたのでゲットし、両面にたくさん塩をふってこんがり鯖の塩焼きに。大根おろしをふんだんに添える。あとは初鰹の刺身。薬味、わさびを思いきりきかせて食べる。あと、きゃべつと大根と油揚げの味噌汁。きゅうりの浅漬け。塩揉みして、スライスし、器に鷹の爪を入れてかきまぜる。味噌汁の中にはしょうがと梅干しを入れて煮立てる。これはなんとなくひらめいてある日試したら吃驚する程美味しかったため、以来ずっとやってる。なんとも言えない酸味と輪郭が隠し味となって味噌の深みが増す。だしはやっぱり、昆布と煮干し、かつお節からとりたい。とるも何も、全部一緒に入れてそのまま食べてることもままある。気が向くと熊本の友達の家から取り寄せている干し椎茸も入れてる。時々、絵描くより料理のが断然好き!ってなる。
あの作ってるときの快感はスポーツにも似てる気がする。出来上がりを想像しながらつくるところが絵にも似てるけど、作ったものがなくなる潔い美しさはやはり瞬間芸術のスポーツのよう。余裕がでてきたので、毎日毎日コトコトとごはんを炊いて、味噌汁と日本のおかずをつくろう。


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2007年6月25日 (月)

恵の雨

Dscf4635ん〜、いいぞ、もっと降れもっと降れ。有り難い自然の恩恵。四季を充分に感じる日本の雨。

たわむれというか、苦闘というか、何が出てくるのか、描いては捨て、描いては捨てとこの二か月で300枚はゆうに描いた。その中から選別していったら、最初の頃の余興で描いた黒のドローイングがたくさんでてきた。その中からまた選別。10枚描いて1枚くらい残す。抽象画を描いてるときに残すものは、その中に何かがあると自分で思えるもの、今はわからなくて切り捨てられないというものを残していく。今みるとその時わからなかったものが見えて、やはり何かあるように思うもの、やっぱり切り捨てていくものなど、今になってようやく少し他人みたいに見れる。

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2007年6月23日 (土)

好きなこと もの

Dscf4613以前は全く違う仕事していたというライターやエディターの方はよくいらっしゃる。こないだ、下北の古着屋に通ってそうと打ち合わせ中思ってたら「前は下北の古着屋で働いていたんですよ」ってビンゴのエディターがいらして、途中からどうやって編集の世界に入るんですか?ってベタな質問をしたことがあった。古着屋の店員さんからエディターか〜〜、おもろい!このたびは、「以前、警察官だったんです」というエデイターの方でびっくらこいた。昔から文章書くのが好きで、家庭の経済的な事情で大学に行けなかったけど、やっぱり諦められなくてこっちの世界にきてしまいました、とお話されていた。警察官をしてるとき、文章書くのがずっと好きだったなと自分を振り返ったというお話に心惹かれる。それと、結局、好きなことを人はやりたいんだなあと思った。というか、全ての人に当てはまるかは分からないけど、人は好きなことしかやれないということ、好きなこと もののために向かう情熱や努力は、傍から見て大変と思っても当人は苦労とも感じないんだろうな。やがて、重圧をも楽しむほどの一流の方になられたり。

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2007年6月22日 (金)

今のこと

Img498週刊金曜日は時々描かせていただいています。ただ今の連載は、日本が抱えてる貧困な自給率のことや、きれいごとの名ばかりのエコでこれを普及させたらもっと温暖化が深刻になるバイオエタノールのことなど、さまざまな問題を風刺した内容が面白い勉強になる連載でした。常々思うけど、本当に必要な産業や流通にかかわっている人々以外、車は要らないのではないか?電車だってあるし、文明の利器である自転車だってある。森林焼いてまでトウモロコシやさとうきびつくって、それらを育てるための水の輸入が計られ水不足はもっと深刻となり、晴れてエタノールができたはいいが船で運搬する際に排出される半端ないCO2はどうするの?かような今興味のある話題がこの連載には盛りだくさん。今回は、輸入に食料のほとんどを頼ってる飽食病の日本人が太ってはメタボリックと騒ぎ痩せ、また太ることの滑稽さを風刺していて大変ユニークでした。次回で最終回ですが、日本が今抱えてる問題や平和ボケなとこを鋭く突っ込んでいて頼もしいのなんのって。国を守るために若くして亡くなっていった靖国神社に眠る先祖をはじめとし、対して戦争を知らないで飢餓に襲われたことなく利便と経済発展の時代の中で育って来た私たちはこれからどうしていけばいいのか、つくづく考えるきっかけをいただいた。是非たくさんの人の目に触れていただきたく思います。
今の年金問題って来るべくしてきたんだろうけど(企業の介護問題に焦点あてて意識をそらせさせたり)、私たちや若い人たちが払っていかないと今までこの国のためにさんざん働いてきた人たちを守ってあげられなくなる。例え私たちが将来最悪の事態になっても、恐ろしい戦争体験をせずに生きてこられたのは先人たちのおかげ。いろんな考えがあると思うけど、私は払い続けていく事で先人たちの計り知れなかった思いを受け止めて、これから働けなくなる頑張ってきて働いてきてくれた世代の人たちのために、とする義務が私たちにはあると思う。自分の老後のためというよりは、今、この国を支えて生きてくれた人たちにつながる事が最優先だと切に思う。

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2007年6月21日 (木)

6月空

Dscf4612午前中は恵比寿で打ち合わせで自転車で行きました。片道15分。腕が随分焼けた気がする。
梅雨の花紫陽花が炎天下の空の下で咲いているのが、なんとも可哀想にと毎日部屋から眺めています。

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2007年6月20日 (水)

夏入り?

070613_144202連日夏のような気候です。東京はコンクリートの街なので余計に熱くも感じたり。2007年も半分過ぎたけど、な〜んかえらい余裕のなかった(忙しく動き回ってた)半年だったなあ、自分のほうのが手伝ってほしいくらいなのに友達の仕事を手伝いにいったり、人の仕事探しにあちこちツテ回して世話したり、人のことでというのが多かった、今までの人生の中で一番嫌な言葉だけど、忙しいよ、やることがたくさん目の前に突然やってきて、今までこんな年ってあった?と思っていたら、というかこの夏が終わったらもっと忙しく課題てんこ盛りだが、昨日ある版元でいただいた中森じゅあん先生の占いの本を見てたら、今年はとにかく公私共々走り回る落ち着きのない年です。どんどん走ってください、もっと急いでパキパキやってください、後半は今まで以上にアクセル踏んでさばさばと仕事を切り上げ前に進んで行ってください、と、書かれていて「ゲー、やっぱり〜」というので今年だけだな、と胸を撫で下ろした。
行動や気持ちはせっかちな性だが、生き方というか歩み方はとってもマイペースでのんびり屋なので、もっと急げと言われる意味はわかる。生き急いでいる人は、往々に、一見のんびり見える人に多いと私は思う。反対に、見た目がせっかちでせかせか動いてる人は、とっても実はスロー(生き急いでない)タイプというのが見解。では、一見カメのようにのろまなくせに生き急いでいる人。生き急ぐとはどういう事かというと、気付きが早いということだと思う。気付くことが早い人程、生きることを急いでいる。一瞬にして気付くことがみんなできると思うのだけど、そう、私は、言うなれば、その方法も知ってる気がするんだけど、実際、気付きたくないのだ。つまり、遠回りして見て見ぬ振りして生き遅いでいたいんだと思う。でもそうやって若いときからなんとなく、遠回りが好きな本当の意味のスローターターやなあって自分の事思いつつ。でもいい加減、見て見ぬ振りも飽きてきた、つうか、とろすぎ!と最近は思う。
と、話は大幅にそれてしまったが、今年はせわしなく動き回るって占いにかかれてあって、「やっぱり〜、そういう星まわりだからか〜」と、占いをたよりにしてみて安心したのでした。

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2007年6月17日 (日)

Dscf4611綿菓子機で綿菓子を紡ぐとき、霧のような薄さからだんだん塊になっていく時のような、空の中に浮遊する雲等。
ある文章のなかにこんな言葉があった。「常識や規則、秩序と言われるものには矛盾が常につきもので、絶対ではない。人間がつくりり出した曖昧なもの、時代と共に変化する不安定なものでもある」矛盾は常につきものというところに惹かれた。

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2007年6月16日 (土)

新じゃがいも

Dscf4596畑になった実家の新じゃがいもを洗って鍋で炊く。表情が全部違うところが大自然ですくすく育った産物である愛おしさをおもわせる。塩で食べてもなんと甘く土の味わいまでするのだろう。

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2007年6月14日 (木)

いちりん紫陽花

070613_144201日比谷通りの滑走路に咲く、健気ないちりん紫陽花。しかもピンク。思わずそのさまに心が揺さぶられ、近寄って見入る。

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2007年6月12日 (火)

永 遠

Dscf4572Dscf4578あじさいが色付き始め、道を歩いていると楽しめる。白が好きなので白のあじさいなんて珍しいと近寄って見る。一方では餃子の屋台。東京ではというか、この辺りでは餃子の屋台が走ってる。笑える。
ものごころ付いた頃、自分の手ををひねると痛いのに、相手の手をひねるとなんで自分は痛くないんだろう?、目の前の親を見ながらつねったりして考えていた。なんで相手(親)の中には自分はいないんだろう。今思うと、今よりも、意識などについて考えてた幼少時代だった。4才の時に身内の死とはじめて直面して、いつかは人間はみんな死ぬんだってはじめて知って、この自分のなかから自分がいなくなるって思ったらめっちゃ怖くなった。もちろん終わりだと思っていた。終わることって怖い。ずーっと考えていたら、永遠に生きているほうのが怖い、死なないほうが怖いってことに辿り付いた時のことを、今でも鮮明に覚えている。それは今でも強くそう思う。数学の数字も終わりがない。キリがないことがこの世、この宇宙にはままある。永遠に続くというのが私には怖い。ただ何かのため自分ではなく誰かのためにという、思う気持ち、(よく言われる、自分ではない、愛というもの)は別だ。

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2007年6月11日 (月)

星の王子さま

Dscf4589昨日はバケツひっくり返したような大量の雨が降って、上がったと思ったらふんわり明るい空の表情にかわっていた。いや〜、自然は生きているなあと思う。夜、星の王子さま特集がやっていた。星の王子さまは昔、この本を人生のバイブルとしていた親友にすすめられた。別れや何かあると親友はこの本を読み返し、その都度印象に残った台詞を教えてくれたのでした。中でもキツネと王子さまのやりとりの章はとても大事なことが書かれていて、知的障害を持つ子供たちに読み聴かせるとこの章をもう一度読んでほしいと繰り返し欲したがるという統計の話も彼女から聴いた。それで彼女の口癖は「心の目で見る」。人との関係においての「ひまつぶし」も。ひまつぶしした分愛情が増す、というようなことを説く。今回のテレビのなかでは、こちらからアクションを起こして相手に飼いならしを申し出るという「飼いならす」ことについての池澤夏樹の翻訳と解説のところが興味深かった。その時、主役は飼いならしを申し出たものではなく、願われた王子さまであること。最後に、儚いの意味を王子さまが「儚いっていうのはいつかはなくなるってことなんだよ」っという文節のところが心に残っている。星の王さまというと、私にとってはその親友自身で、反射的に彼女を思い出し、同化している。何かあるごとにこの本を深く読んでいた親友は、本の中からいつも解決の糸口をみつけ、その都度何かを学び、自分を癒し、その作業が終わりしばらくすると、「君もこの本をまた改めて読むといいよ」とすすめてくれていた。そして今でも「心の目で見ることだよ」と肝心なときに言ってくれる。星の王子さま=彼女で、今は遠く仙台にいってしまった。そんな彼女(星の王子さま)の口癖である「君(キミ)」という呼びかけも気にいっていた。

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2007年6月10日 (日)

仕事の速度(周りへの配慮)と内容は比例する

Dscf4581昨夜は同業の鹿野(鹿野理恵子)ちゃんと3ヶ月前から予約の麻布のリストランテAに。遊びで長時間、友人と過ごすのも久々。贅沢な原田シェフのフルコース、味は以前広尾にあった頃のが好きだったけど、鹿野ちゃんとの会話が面白かった。困ってる人を助けたい、現場で実践を積み仕事を次につなぎ続けることが何より大事、と言う鹿野ちゃんなりの目標や流儀は勉強になる。仕事以外にもいろんな話をしたけど、いい時間だった。
仕事の締切り、仕上げについていつも思う事があるのだけど、連載のお仕事を描かせてもらってる中で、仕事の速い人は文章もいいと私は常々感じる。このことに例外はほぼない。本当に面白いなあと思うものを書く人は妥協もしないし、限られた時間のなかでチームプレイの事を配慮し、仕上げてくださる。反対に毎回締切り土壇場で、後に関わる人々のことをないがしろにばたばた原稿が届く人の文章は相応の内容だったりする。私ごときは全然えらそうなこと言えないのだが、仕事が早くてあまりにも内容が面白い作家の方がいらして、例えば15分で1本書き上げると本人曰く。本番は15分でも実際は街を歩いてるときや食事のときなど頭なかで制作しているという。連載の仕事は一人でやってるわけではない、いろんな人とのチームプレイ。自分が遅れたら周りのみんなに迷惑かける。また、僕の文章読みもせずイメージ画送ってきた大家がいたけど、そんな人は銀座の画廊で個展やってればいい。これは人の事を考え、人を喜ばす仕事だからと言い、その方の挿絵は作家の要望でいつも直接やりとりでした。めっちゃ緊張もしたけどその中でいろんなプロとしての流儀を教わったのでした。確かこんなことも言っていた、もう終わってしまうの?もっと御願いしたい、次も発注したいと思わせる作品を提出する。内容と速度を比例させる。まだまだまだまだな自分。ただ、私はやはり仕事においては(個人的な作品制作ではない社会との繋がりの仕事)、周りとのバランスを考慮した締切りへの配慮(速度)と内容は比例すると思う。

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2007年6月 9日 (土)

例え明日地球が滅亡しようとも

Dscf4568「例え明日地球が滅亡しようとも私は今日林檎の木を植える」いい言葉だ。

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2007年6月 8日 (金)

おしらせ

Dscf4569大阪のいとへんで来月個展をします。HPのnewsに詳細更新しました。片頭痛も肩こりもすーっと治る磁場のいい場所、気の流れのいい空間です。約二年ぶりで楽しみです。
というわけで、7月18〜29日、ギャラリーいとへん展覧会、よろしくおねがいします。

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2007年6月 6日 (水)

熱いもの

Dscf4444カンヌ国際映画祭で審査員特別大賞(グランプリ)受賞の映画監督の河瀬直美さんが話す機会を連日のようにメディアで拝見する。以前、地元の奈良県を紹介する番組のときも不思議な雰囲気をもった人だなあと眺めていたことがあったが、毎回話す一言一句が心に滲みる。こういう熱いものがあるからつくる必要があり続けているんだなとひしひし伝わる。監督をみていて、うまくいえないけど、そういうもの(そこまでのもの)がなかったらする必要もないししなくてもいいということを思った。
今はずっとうかがっていないしばらくの陶芸研究所に昔、生徒で中上健次さんの次女がいて、作家中上健次の郷里である和歌山のこと、作品に書かれるその場所と作家の背景、書かれていたことについていろんな話を聞かせてもらったことがあった。その中で、こんなことを言っていた。母親も世に知られた俳人であり作家であったけれど、父、中上健次と出会った時、私にはこのような熱いものがないと筆を置いた。というようなエピソード。河瀬直美さんの中にある生まれつき備わって、変えようにも変える事のできない熱いものを画面からひしひしと感じつ、この話を思い出した。

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2007年6月 5日 (火)

食事づくり

Dscf4322_1昨夜は仕事帰りの、みわっちという友達が家に来てくれてお互いの共通の旬の話題、たわいのないことについて延々笑い話に華が咲き盛り上がる。職場近くの神楽坂の和菓子をいただいたがこれが黒砂糖がよく利いて上品且つ濃厚な味わいで美味しかった。御馳走様でした。最近はちゃんと料理をこしらえてなくてご飯だけ炊くくらいだったが、このときばかりにと少し作ってみたが、今一つで納得の味がでないなー。落ち着いたらいろいろこしらえて勘を取り戻さないとー。料理は素材を手にすることで元気ももらうしね。

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2007年6月 4日 (月)

心の目でみる

Dscf4554Dscf4557昨日、北野武監督の座頭市がテレビでやってた。やっぱりすごい良かった。劇場で観たときもえらい感動したの覚えてるけど何回観ても発見がある。本当は目が見えていたのに盲目のあんまのフリしていたことについて「人の気持ちがわかるからだよ」って言ってた台詞が良かった。最近よく心に刻む星の王子さまの「肝心なことは目に見えない、ものごとは心の目でみること」を反芻していたときだったのでまさにタイムリーでもあった。目で見て考えるな。しかしやっぱり世界一だ、北野監督。日本でつくってるから日本の色になるんだけど、日本のいい色がでている。ジョン・カサヴェテスと北野武は特別好きだ。

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2007年6月 3日 (日)

生きていることが伝達

Dscf4537昨日は、以前一緒にお仕事していた方と御会いしていろんな話をした。昔ひとつの作品を作るために家族より恋人より時間を共にし、ひとつのことをつきつめるためにえぐり合い、苦楽を共にした人だ。自分のなかのいろんなものを引き出してもらったり、気付かせてもらった、私にとってカリスマ編集家だ。その方に会うたび、毎回いろんなことを私は確認する。
そう、私は絵だけではもの足りない、いい足りないものがいつもある(絵を全てという、絵のみで勝負できる人はある意味羨ましくもあるし尊敬する)。だからそれを(いい足りないことを)文章や言葉にもする。それを何らかのかたちにすることも大事だろうけど、それよりも先に、伝えたいことがあるとすれば、それは私が普段、日々出会う人に、お茶や食事しながら会話の中で、手紙や日々のやりとりの中で何かしら表現してることになる。というかそれのが強い。人は何かしらみんな伝えたいことや言いたいことを持っていて、それがその人にしかできないやり方で表現している。子育てもそうだし、家族のためにごはんをつくることのなかに流れるものもなんら変わりない。人は生きているだけで廻りに影響を及ぼし、また影響を受ける。
その中に絵があったり文章があったりするだけ。
顔の見えない人たちに向けて何かをかたちにし伝えること以上に大切なことは・・・、私が生きて行くなかでどれだけの人に出会うだろう関わるだろうその人々に日々日常的にそれを(私の伝えたい事を)伝達できるかどうか。
それがとても重要だと最近思う。リラックスして。
そのことができないで、顔の見えない人に向けて何かを伝えられるはずがないと思っている。
それは、何かをかたちにして表現する以前に大切な私の仕事。そしてその仕事に期限はない。

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2007年6月 2日 (土)

日々つれずれ

Dscf4543一昨日は部屋の取材があって、そのあとずっと仕事の掲載誌の切り抜きの整頓してスキャンしてプリントアウトしてファイルをつくるために延々とやっていました。ここ何年かの掲載ものや原画やらをちゃんと整理してなかったのでそれもやる。そしたらえらい時間がかかった。昨日も夕方まで用事を済ませた後、夕方から日付けが変わるまで延々とプリントしたり整頓しながら営業用のファイルを何十冊とつくる。こういう作業を半年に一度やるが、やりはじめると 日付けかわって12時間くらいぶっ続けでやってる。それでも全然疲れない。労働というかほぼ手と体だけ使うたんたんとした作業だから。でも、作品作ったり仕事の絵を作成するときは、それを始める(画面に向かう)までにずっと気持ち、テンションを上げてくのに時間を要し、やり終わったあと、それがほんの数時間でもどっと疲れる。というかぐったりする。ドリル一冊やり終えた後みたいなぐったり感。でもって、たんたんとした作業や労働は時間と量が比例し他ごと考えてもできる。全神経を集中する後者は全く逆だし、質が勝負で、時間をかけ手を動かしたからといっていいものができると限らない。がしかし、出来上がったあとの快感がたまらない。ということをつらつら考えながらぶっ続け労働をした二日間でした。今月は人に会う事が多くなるかもしれないので急遽準備した。そして何も絵を描かなかったことがちょっと罪悪感。今から描こうと思っても、これがまた気持ちを高めるのにえらい時間かかるというか、もう集中できないみたい。

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2007年6月 1日 (金)

Dscf4335

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