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2007年8月

2007年8月31日 (金)

水になった村のひとしずく

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午前中に本日のノルマの仕事を終わらせ、午後から東中野のポレタイ(ポレポレタイムズ社)に久々に水になった村のお手伝いに行ってきました。東京都内の自然食レストランガイドをみつつ、順番に電話をかけていく。チラシ配布のお願いをし、一筆お礼状を書いてチラシを封筒に入れ、宛名書きし、メール便の手続きをします。普段の営業と全く同じ、こような営業の電話は今でもやってます。どれだけやってきても、営業には全くなれません。
顔が見えないから人見知りは免れど、知らない人に働きかけて声をかけるのは勇気いるし、電話の営業は気をつかうし緊張する。たった1分〜2分で自己アピールし、会いたいなあ観たいなあと思わせなくてはならない、映画の魅力を説明しなくてはならない。口説きの修行。

「どうか、作品を観ていただけませんでしょうか?」を、「どうか、素晴らしいこの映画を、一人でも多くの方々に観ていただきたいと思っております。チラシを置いていただけませんでしょうか?よろしくお願いします。」
イラストレーターもカメラマンも、映画監督も、映画会社も、営業は命です。


「今、忙しいから」とものの数秒足らずで無下に断る人もいれば(仕方ないが、言われ方によっては傷付くこともある)、「その映画知っていますよ。是非送ってください、僕も観に行きますよ」と泣けてくるお言葉いただける方も。たかだが顔の見えない声だけの一本の電話の出会いでも、人と人とのつながりを実感し、感謝する瞬間である。

今日は本橋成一監督も大西監督も一緒にチケット切りをしていました。カメラマンの事務所なのでいい写真があるある。強くて素晴らしい写真を撮ってる若いカメラマンも仕事明けに手伝いに来て、みんなでもくもくわいわいたんたんとやる。会話をきいたり、言葉をかわしてるなかでつくづく、ここの人たちはほんとうにやさしいなあと思う。やさしすぎて損をしがちな人たちばかり。
やさしいのだけれど、ものをつくる思いにかけては厳しく妥協はしない。強い写真と映像を撮る。が、故に人の心に届くのだろうなと思った。

日本一のダム開発に沈んだ徳山村に、ぎりぎりまで自然の神々に感謝し、我が愛するふるさとの自然とともに生きたジジババたちの15年のドキュメント映画。「水になった村」
いよいよ東京は10/5日までです。

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2007年8月30日 (木)

嗚呼、ごはん。

Dscf5084Dscf5089今日レントゲン検査で、骨折したあごの骨の接着が多少のズレはあれど順調だったため、お陰さまでやっと固形物をこれから食べれることになりました。なんといっても黄金の稲穂からとれたて、この季節、輝く新米銀シャリが食べたい。と、おかゆにして食べた。じゃがいもとにしんと厚揚げの煮付けとともに。休憩中のぬか床になすびも漬けた。なんて美味しい。せんべいはまだ食べれないけど少しずつ固いものも食べる練習をする。そして閉じたままだった口をこれから開ける練習をする。今、ちょうど人さし指が一本入るほどに上下の歯が開くが、親指と人さし指を縦に連ねて余裕に口に入れられるように、徐々に寝る前に練習する。そうしないと口を閉じたままで骨が接着してしまうらしい。打ち合わせや人と会うとき、歯を閉じたまま変なしゃべり方している人だなあと思われたらどうしよう、と思いつつずっと歯を閉じたままだったこの数週間。そしてくしゃみも歯を閉じたまま、あくびも閉じたまま。もうじき思いきり口を開けれるかと思うとうれしい。

涼しくなってから矢野顕子を連日聴く。これくらい静かな季節の変わり目にあう。ピアノの音とともにやわらかな声が心に染み入る。

写真の絵はある企業の「農」と「食」のオープンフォーラム、仙台編のフライヤーに描いた新米ごはん。このてんこ盛りごはんは私の気持ち。これくらい山盛りでもりもり食べたい。笑。
三陸地方のさんまや岩がき、ねぎや青菜などの野菜の絵も並べる。やはり自然の命をいただき、食することは素晴らしい。日本のお米が美しい。神聖な気持ちで筆をとる。

六ヶ所村の再処理工場から流れる放射能と、これら恵たちのことを思う。このごはん、三陸地方の豊かな恵たちが、いつまでも豊かであり続けてほしいと切に思う。

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2007年8月29日 (水)

2007年 秋

Dscf1581Sany0167昨日から東京では雨が激しく降ったり、止んではまた降って、寂しげな音をたてている。季節は確実に秋に向かって歩んでいることを肌身で感じる。
雨でねれた道や、木々の香りや町並みまで、昨日までの猛暑とは打って変わっておどろく程に秋色。
四季があるこの国の自然は繊細で、美しい。

写真は去年の今頃、郷里三重県でのどむ豊かな大地と海。
こんなに眩しく壮大な自然の命に包まれる、この世界は素晴らしい。
そして、この奇蹟のような眩しくも壮大な自然の命は、経済発展では
決して手に入れられない、先人たちが残してくれた、私たちにとって
かけがえのない宝物。
私たちが、これから受け継ぎ育てる、つながる未来への大切な財産。


この2007年 秋に、六ヶ所村では核燃料再処理工場が本格的に始動する。


原発が出す一年分の放射能が、たった一日で、空と海に放出されるという。
そして奇跡のような空も、大地も海も汚染されていく。
環境によってつくられる、私たちの このからだも。

毎日食べるごはんをはじめとした穀物や、野菜や、大地や海の恵たちが
放射能にさらされてまで、未来の世代に負の財産を残してまで、電力会社から買う
電気が必要なのだろうか。

来るべき日本国憲法第九条の国民投票をはじめ、私たち一人一人が何を選択して
いくのかが、今、問われている。

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青森県 六ヶ所村で行われていること 3

最近まで青森県 六ヶ所村の核燃料再処理工場の問題、既に大量の放射能が空や海に放出されるプロジェクトは開始されたこと、六ヶ所村の人々が抱えてしまった運命のことを何も知りませんでした。

「六ヶ所村ラプソディ」を観てはじめて知り、原発について、電力会社から電気を当たり前のように買い続ける日々の暮らしについて改めて考た。いろんな角度からの六ヶ所村の問題について学びたいし知りたいと思う。そして、できるかぎり想像したいと思う。Tさんの見解を一つ。以下、六ヶ所村の燃料再処理工場について。

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六ヶ所村の再処理工場が、最近稼働したことを知りました。

再処理工場のことは知ってましたが、詳しくは知りませんでした。
そこで僕が思ったことがあったので書いてみたいと思いました。
違う部分もあるかもしれないけど、ひとつの意見として。

再処理工場が危険なのは事実なんですが、今ま で使用済み核燃料は
イギリス、フランスまで船で運ばれて、他国の再処理工場で処分しても
らってたわけです。
それが、日本でするとなると、だめだという理屈は少し違うのではないかと
思います。

再処理しないという動きが世界ではあるようですが、再処理しない場合
は直接処分ということになります。
ただどちらにもデメリットがあるので単純にどっちがいいとは言えませ
ん。

再処理の場合は資源の有効活用(使用済み燃料からのプルトニウムとウ
ランの抽出によって再利用(プルサーマル)、もしくは高速増殖炉によ
る増殖)ができます。そして高レベル廃棄物のみを切り離したら、直接
処分の10分の1程度の体積に収まるらしいです。
ただ、コスト面と放射線を多く出すため危険が多い。

反対に、直接処分だとコスト面は再処理するより安くつき、再処理工場
での放射線の危険性を回避できる。
ただ、燃料の無駄使いと直接捨てた廃棄物にはプルトニウムがふくまれ
るため、放射能のレベルが下がるのに莫大な年月がかかる。

政府は廃棄物の最終処分先の候補地を、多額の補助金をえさに募ってま
すが、なかなか決まってません。
たまにニュースで立候補すると村長のコメントが流れたりしてますが、
住民の反対でなくなってしまうケースがありました。

原子力による電力供給を受ける限りは、再処理工場での廃棄物からのウ
ランとプルトニウムの抽出をしてから残った廃棄物を地下に埋めるか、
もしくは直接廃棄物を地下に埋めるしかないんですよね。
前者だと、言うように海や空に放射線が排出されますね 。
(六ヶ所村の処理工場は危険値を下回ってるので大丈夫と言ってますが、
真実はどうかわかりません。)また事故が起これば大惨事です。

後者も地球を長い目で考えると、害がでてくることは間違いないと思い
ます。未来の子供に負の財産を残す訳ですから。

だから日本で候補地がでてこないんでしょう。目先のエサではつられ
ない住民の判断はもっともだと思います。

だから六ヶ所村の処理工場ストップというのも僕としてははっきり言え
ないんです。
まずは直接処分か再処理かをおのおの考える必要があるかと。
(現在日 本は再処理の道を選んでますが)
そして六ヶ所村の再処理工場をストップさせたなら、直接処分というこ
とになるので至急に埋める場所を決めないといけない。

原子力に頼らないという案もありますが、今のところ日本では無理で
しょう。いろいろな問題があります。

原子力=悪という概念は間違っていて、原子力にもメリットはあります 。
(CO2排出が少ないことなど)。そして他のいいと思われてる 電力発電
方法にもデメリットはあります。(COsでいえば火力発 電だと温暖化に
もろに影響ありです。そしてCO2の6%削減を目指す京都議定書に逆行し
てるかも しれないですね)


結局のところ、電気の使用量を減らすことしかないんですよね。

六ヶ所 村の件は、これからの日本人が原子力危険と日常の便利さ快適さとの
関係を考えるきっかけになると思います。
今迄は、他国で危険なゴミを処理してもらってた訳で、それが自国です
るとなると反対というのは難しいです。

東京などの電気を多く消費してる場所でやればというアイデアは僕もい
ちど思ったことがあります。
ただ、東京に作って、爆発や事故が起きたら確実に日本はつぶれますよ
ね。心臓がやられるので。そして日本がつぶれたらアジアの多くに多大な
影響があって、どれぐらいの世界規模の影響があるか想像がつきません。
その前に、司法、立法、行政機能、ならびに大きな会社すべてが東京か ら
離れるでしょうね。

つまり環境と経済は密接で、難しい関係です。そのバランスをうまくと
りながらゆっくりと進むしかにんですかね?
そして知って考えることですよね。
それにはこの六ヶ所村の件、ならびに原子力などのエネルギーのことを
もっとマスコミも流してもいいと思うし、そうしていくべきなんかなと思います。


僕の個人的なアイデアでは、電気代に原子力廃止対策費などの名目で税 金を
どばっとかけてもいいんじゃないかと思います。タバコが外国で莫 大な税金が
かかるように。

そんなことを思い、ひさしぶりに原子力について考えてみました。


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続、再処理工場の問題について

続、廃棄物の処理の仕方で再処理か直接処理かというどちらかという問題について、二者択一の問題ではなく、前提をひっくり返せばいいのではとも思います。原発賛成か反対かという問題もおなじです。

つまり、おおげさにいえば原発がいらないぐらいの電気量に制限するん です。法律で定めるなり、きびしくやってもいいかもしれません。

経済的に大きなダメージを受けるだろうし、利便性、快適さに慣れてし まった僕らには苦しく感じるかもしれないです。おそらくそうなると、深夜にパソコンなんてできないでしょう。自家発電しない限りは。

僕自身は経済発展イコール生活の豊かさとは考えていないので、経済が 後退しても、工夫次第で生活は豊かにできると思っています。平和ボケしてるぼくらが痛みに耐えれるかはわからないけど、その苦し さに慣れたら普通に過ごせるでしょう。

実際、100年前はこんなに電気はいらなかったわけですから。


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2007年8月28日 (火)

青森県 六ヶ所村で行われていること 2

一昨日の内容に対して知人から、冷静な意見や指摘をいただき、それについて承諾を得てアップさせていただこうと思っています。自身の勉強不足、無知のこともありもっとこの問題について勉強し知らなくてはいけないと思っています。いよいよ被爆者をかかえることになるかもしれないこの国で、全てを他国まかせにしていた日本が今、他国でならよくて、自国ならやってはいけないというのも筋が違うというのもわかる。しかし、それでも映画を見ていて、それは違う、私はこう思うと、強く思うところが在ります。

ひとまず、以下、中村隆市さんの「未来世代からのメッセージより」引用です。

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<安倍晋三 様>

あなたが主張されている愛国心、誇りの持てる国をつくるために愛する日本の国土を海を大気を放射能で汚染しないでください。あなたの愛国心を言葉だけでなく行動で示して下さい。


<小沢一郎 様>

あなたが主張されている新しい国づくりの理念「共生」を考えるときに、これから生まれてくる私たちの世代との「共生」も忘れないで下さい。

<すべての国会議員の皆様>

私たちは、あなたがた議員の皆さんが、目先の経済だけでなく未来世代の幸せを考えた政治を行なってくださることを祈っています。


<新聞、テレビなどマスメディアで働いている皆様>

数千億円ではなく兆の単位でお金が動いている巨大な工場が日々、放射能を大気中と海中に放出し続けています。しかし、日本人のほとんどは、この重要な問題を知らないままです。メディアに関わる皆さん、再処理工場に関する記事、番組を勇気をもって報道して下さい。戦争賛美の記事を書くことと再処理工場の報道をしないことは、同じ意味をもっています。


<科学者の皆様>

再処理工場の問題は、いまの時代だけでなく、これから数千年、数万年後の未来世代にも影響を与える大問題です。
「放射能の放出は、わずかな量だからまったく問題ない」と主張する科学者の声によって、放射能の放出が続けられています。この問題を「自分の研究分野とは違うから」と放置しないで下さい。


<アーティスト・表現者の皆様>

この問題をできるだけ多くの人に知ってもらうためには、皆さんの表現力が必要です。
どうか、子どもたちとこれから生まれてくる者たちのために、この問題を共に考えて下さい。

<いま日本に住み、日本で生きている皆様へ>

今から25年以上も前のことですが、1980年に日本政府は原発から出る「低レベル放射性廃棄物」を太平洋に棄てようと計画しました。その計画を知った太平洋の島々は猛反対しました。
それに対して日本政府は、「低レベルの放射能だから心配しなくて大丈夫ですよ」と説明しました。

しかし、彼らは納得しませんでした。「安全だというのなら東京湾に棄てればいいではないか。何故、遠い太平洋にまで持ってくるのか」と首をたてに振りませんでした。

長い間、核実験によって海と島を汚染されてきた彼らは、これ以上海を汚したくない、これ以上海を汚してしまったら子どもたちが生きていけなくなると反対運動を続けました。

その思いは国際世論を動かし、ついに日本政府は、放射能を太平洋に棄てることを中止しました。

これから六ヶ所村の再処理工場から棄てられ続ける放射能は、太平洋に棄てようとした放射能よりずっと多くなります。いま、日本に生きている皆さんでなければ、再処理工場をストップさせることはできません。

皆さんは、これから生まれてくる私たちの運命を握っています.


ナマケモノ倶楽部 /世話人・中村隆市のコラム 未来世代からのメッセージより


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2007年8月27日 (月)

青森県六ヶ所村で行われていること

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「六ヶ所村ラプソディ」を観てきました。

これは青森県の片田舎の雄大な自然が広がる六ヶ所村に、原発ではないという不可解な理由によって放射能性廃棄物の制限が取り払われ核燃料再処理工場が作られた、その工場で行われている暗黙の恐ろしい国家プロジェクト、事実を記録したドキュメント映画です。

資源活用するための核燃料再処理工場から再処理されて得られる、核兵器物質であるプルトニウムの量は、1986年4月26日に起ったチェルノブイリの原発事故で放出された量の10倍。
そして、わずか角砂糖一個分で2百万人を殺し、これが4つ5つあれば日本人類全てをわずか2秒で殺す事ができるだろうというほどのものです。
また、長崎の核爆弾1000発分に値するともいいます。北朝鮮の核実験のプルトニウムは500g、対し、被爆国であるこの日本は年間8トンものプラトニウムを生産することになる。
これは戦争よりも酷い、時間とともに徐々に蓄積される、アジア諸国、世界にも大気や海をつたう地球破滅への行いになるという。
そんな恐ろしいものが、開発が、日本の東北地方の青森で行われているのです。日本はすさまじい量の核を所有してしまったのです。

「薄められるから大丈夫、この資源は未来への現代人の希望をのせたものなのだ、安全だから」と、六ヶ所村の工場より、150mという高い煙突を経て空に向けられ、また、沖合3km、深さ44mの管から海に今、流されているという。この壮大な、大きすぎて目に入らないくらい怖いプロジェクトが開始されたのは、ほぼ今年、2007年の3月ごろという。はっきりとした日付けがわからないのは電力会社や国の圧力により伏せられているから。
そんなに安全で、未来をになう希望の産物ならどうして、すぐ近くで流さないのだ、150mも高い煙突から、3キロも離した管をとおして流す必要があるのか。しかも、日本国土の3キロなんてすぐそこ、近所のこと。三陸地方の栄養豊富なリアス式海岸をのぞむ豊かな海はどうなるんだ。


かつてこの実験を体験し、海産物が核で汚染されてしまったイギリスでは、絶対止めさせるべきだと日本に促す。海藻やわかめはとくに放射能を蓄積するが故、イギリス国民は食べる風習もない、また海産業は国の1%にすぎないからまだしも、日本は四方を海に囲まれた、魚を最も食す、世界一の漁業大国なのだからという。イギリスが食べない昆布やわかめなどの海草類は、私たち日本人にとって、自然の恵の根本をつくるあげる魚同様、宝である。3月から毎日海に流されている放射能は、海流によって千葉県にまで達するという。東京であろうが東海、近畿であろうが流れ来る海流は時間の問題だ。魚介類は放射能を濃縮して蓄積する。 確実に日本の海は汚染されていく。

そして、煙突から吐き出された放射能は、青森六ヶ所村の土地を汚染し、六ヶ所村の農民たちが渾身こめて守り作り続けてきた産物をおびやかしていく、さらに甲状腺の病気、癌はこれからどんどん増えることになるという。


チェルノブイリ原発事故被災地を撮った「アレクセイと泉」、ダムと言う開発によって水に沈んでしまう「水になった村」の映画と同じく、ふるさとを簡単に見捨てることができない人々が少数、放射能で汚染されようとも、最後まで希望を諦めずに、生まれた自分の地に残る覚悟でいる。
チェルノブイリ原発事故被災地のようにしたくない、子供たちが、自分の育ったこふるさとにいつでも帰ってこれるふるさとであり続けるようにしたいと、国からこれでダメなら5倍、それでもダメなら10倍と紙幣を積まれ、仕方ないと賛成派に口をつぐんでいく人々が圧倒的に多いなか、最後まで反対を訴えている。自分達に課せられた、運命から逃げる事をできずにいる。我が運命と、愛する土地に向き合う覚悟でいる人々の姿が強く切なく、痛く、胸に突き刺さる。


私はこの事実を何も知らずにいて、はじめて友達から聴いたときは、行き場のないやるせなさと怒り、絶望の中に、泣いた。簡単にふるさとを捨てれずに粘る現地の人々の心の痛み、これから背負っていかなくてはならない六ヶ所村の人々の運命、私たちの運命はもとより、このままだと確実に日本の海は死んでしまうことの絶望の中に。「海が死んでしまう」。もうプラトニウムが海に毎日流されている。

そんな中、辻信一さんとシンガーソングライターであり世界環境運動家のアンニャ・ライトさんの先日開かれたイベントで、アンニャさんの「環境運動をしてきて、もうダメだと、絶望のふちに何度と立ってきた」という台詞を聴いて、正直、アンニャさんでさえそうだったんだって救われた。
それでも、今世の中で起っている事、そしてこのもう逃げる事のできない温暖化のことを、私たちは向き合わなくてはならないと、言う。そう、今生きている私たちは、この真実に、向き合わなくてはならないと思う。

この真実を観ていないし知らない人たちは、そんなことあるわけないとか、ニュースでやってないし、とか、大丈夫だよと平和ボケして言う。平和ボケしている私も最近までは知らなかった。
でも知ってしまった以上、これを伝えていく義務と責任がある。そして核反対を訴える義務もある。
映画の中で言う。核問題に関しては中立(ニュートラル)は、ない。賛成か反対かのどちらかだと。
報道が隠している、この世の中で起っている、まぎれもない事実を知る事は、今、生きている私たちにしかできないこと。
「未来の子供たちの運命の行方」の鍵を握るのは、「今生きている私たち」だから。

この行き場のない怒りを、電気を少しでも使わない事で、原発反対、地球に思いを馳せている今、
知らなかった事を知ってしまった人から、一人でも多くの人に六ヶ所村で起っていることを伝達し広げていきたい。ニュースやメディアが国の圧力を恐れ、国が圧力で口封じするこの真実を、私たち市民が口づたいに伝え、今すぐとりやめさせるために、反対していくことが、この日本の未来につながる。

何故、原発はこのような片田舎につくられるのか?そして何故、今回起ったこのような恐ろしい再処理工場が青森の六ヶ所村なのか?
映画のなかで言う。それは田舎のが何か起ったとき死ぬ人数が少なくて済むからだと。
言葉を失う。
むしろそのような工場は、日本の電力の1/3を消費しているこの東京の地につくればいい。再処理が必要でそこまでして安全と言うのであれば、現代社会をつくりあげた都会によって、地域で暮らす人々が生活を自然を奪われ犠牲にさせられるのは違う。田舎にある得難い自然という財産をこれ以上犠牲にしてはならない。

遠くで起っていることは私たちと別ものではない。命はすべてつながっている。
そして、核燃料を積んだトラックは神戸、名古屋、東京を経て青森まで毎夜輸送されているという。


「アレクセイと泉」の監督、「水になった村」のプロデューサーである本橋成一氏が、「これを作った監督も、相当しつこくてね」と、以前 語られていたのが印象に残っていた。表現したり何かを訴える人にとってしつこさは不可欠な才能だと思う。国の圧力で各メディアは真実を隠し、一般映画館では放映できずにいる、私たちが知らなかったこのドキュメントを根気よく撮ってくれた監督は素晴らしい。この映画は今、日本に生きている私たちと、幼い子供たち、未来に生まれてくる命のための大切な記録。そして今、日本をはじめ、世界中の人々にこの事実を知ってもらおうと、坂本龍一をはじめアーティスト、環境運動家が広げている。地道に根気良く全国の小さなスペースで上映されていて、連日、マスメディアからでは知り得ない真実を知りたいと思う人々が駆けつける。
会場を見渡すと、実に様々な年齢層の人がいたが、大学生や若い人々が目立った。辻信一さんが言う様に、今、若い人たちの意識が変わろうとしているのだと思う。

この映画は、底なしの経済発展だけを求めたアメリカナイズされた20世紀の日本が、地球を含めた私たちの資源の使い方、暮らしのあり方について、岐路に立たされた21世紀に突入した今を問うドキュメント映画です。このまま、いつまでも電力会社から電気を買わなくてはいけない暮らしのままではいけないし、電気が普通に使える日常への価値観も自分のなかで変わった。

六ヶ所村に恐ろしい核燃料再発工場をつくらせたのは、私たちのこの電気の蓄積なのだから。
「水になった村」と同じように、真実を知る程に怖い映画です。今この日本に生きている全ての人に知ってもらうために、まず一人でも多くの人に観てもらいたいと思う。上映情報は六ヶ所村ラプソディ公式サイトで公開されます。

坂本龍一さんが世界中の人々に六ヶ所村の核燃料再処理工場の事を知ってもらおうと立ち上げたサイト
六ヶ所村ラプソディ公式サイト
再処理工場についての説明冊子『ガッテン「再処理」ハンドブック』(グリーン・アクション)

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2007年8月26日 (日)

「あの偉い発明家も 凶悪な犯罪者も みんな昔子供だってね」

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イエローモンキー(吉井和哉)といえば、この友達を反射的に思い出す。そして、イエローモンキー(吉井和哉)といえば、「JAM」。60万枚売ったこの歴史的な名曲を久しぶりに聴く。何度聴いても、強くグッとくる。

儚さに包まれて 切なさに酔いしれて
陰も形もない僕は
素敵な物が欲しいけど あんまり売ってないから
好きな歌を歌う

あの偉い発明家も  凶悪な犯罪者も
みんな昔子供だってね 

外国で飛行機が落ちました ニュースキャスターは嬉しそうに
「乗客に日本人はいませんでした」
「いませんでした」「いませんでした」

僕は何を思えばいいんだろう 僕は何て言えばいいんだろう

イエローモンキー「JAM」より

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2007年8月25日 (土)

記録

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2007年8月24日 (金)

二年ぶりに土をこねる

Dscf5066Dscf5067今日は、三鷹市にある現代陶芸家、板橋廣美氏の工房、ウインズ陶芸研究所に伺ってきました。実に2年ぶり。板橋先生のウインズ陶芸研究所は美大の陶芸科や陶芸学校を卒業した人々も、また、プロの陶芸家の方々も、もう一度、 板橋廣美の下で陶芸を学びたいと、時には海外からも作家がいらっしゃる世界的な工房です。日比野克彦さんも作りにきたり、中上健次の娘さんも在籍していた。私は20代後半のときに陶芸家の友達の紹介で在籍させていただきました。在籍する方々のレベルが高いのはもちろんのこと、板橋先生の月に一度の研究会の講義が私にはとてつもなく衝撃でした。それは陶芸だけに限らずすべての表現に通じる内容で、生き方を示唆してきます。

しばらく絵が描けなくなるほどショックでした。そして先生の目、無言のなかの緊張感、つくることが怖くなって途中行けなくなったときもありました。

とにかく、ものごとの本質を刺すような、核心に迫るような言葉の数々、先生の発した言葉は一字一句逃さないよう、板橋廣美語録も作っていたほどです。その存在と、作品が、どんな画集みるより本を読むより衝撃的だった。
今でも、作品をつくる、描く時、先生の言葉をよく頭に浮かべています。
私が今までの人生のなかで、一番影響を受けた、生きている芸術家かもしれません。

国内外の様々なコンペでも高く評価されている先生ですが、コンペに出す事で戦う事、走り続けることを生徒に誘発しますが、「結局は、生き方である」とも言っていた。作品を産み出す一人の人間という生き様。
器の究極は『くぼみ』である、というのも先生の思想です。手の平も、葉っぱも究極の器であるといいます。

また、京都発の走泥社(そうでいしゃ)活動でで名だたる、陶芸の世界にオブジェという概念を入れた前衛陶芸家、八木一夫の流れも汲んでいます。八木一夫といえば、重度知的障害者への土造形の指導、アウトサイダー・アートの指導に取り組んだことで有名ですが、八木一夫と同じく板橋先生も知的障害者の土への触れ合いの指導を当時は取り組まれており、私も施設に手伝いに行ったことがあります。知的障害者を土と戯れさせる先生の姿、それも衝撃でした。

陶芸はものすごい体力と、気力と、地球の資源を消費します。板橋先生をみていると、この限られた土という資源は、もう、天才がつくるための貴重な資源であって、私のようなものが浪費してゴミを出すべきではないと、土の資源を浪費し無くしてしまうことに、ここ何年かは罪の意識がありました。他の陶芸工房ならそこまで思わなかったかもしれない。
先生の工房はとても神聖な場であるので、絵に傾いていた私は、土の魅力にとりつかれていたものの、そこに伺い、土と向き合う度胸もなかったし。工房に来る人々は土の表現に、人生をかけているくらい真剣で。

でも、ここんとこ突然、ちょっと器をつくりたくなって、伺ってきました。けったで片道1時間半かかった、迷う迷う。しかし三鷹は緑が多く、空気が美味しかった。
たくさん作りました。板橋先生も磁器の鋳込みを、お弟子さんと制作されていて久しぶりにお目にかかれてやっぱり伺えて良かった。友達の結婚祝いには大体、板橋先生の器か板橋先生のお弟子さんなど一派の陶芸家から作品を購入して贈っていたのですが、なんとな〜く、今度結婚するイラストレーターのT君とみわっちなど3組ほど重なり、何をお祝いにあげようかといろいろ考えた末、作品を購入しようと思ったものの、でもなんとなく、無性に自分の下手な作品をあげたくなりました。ヒヒヒ、もう捨てられませんで、チミたち(ゴミにすなよー 笑)。
さてどんな作品に仕上がるか、私も久しぶりに自分のへんてこ作品でごはん食べてみようと思います。(まだ流動食だけど、焼き上がる頃には柔らかい食べ物をいただける予定なので)
今度は上薬をつけに行きます。

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2007年8月23日 (木)

大人と子供

Dscf5060今朝、思いきり雨が降った東京。明日は晴れてぐんと気温もあがりそうな、マンションの廊下より眺める夕焼け。

今日は銀座のM社に。
編集の方ってほんとにすごい。私にとって、編集の人はお母さんのような存在だ。冷静で全体像を掴み、こちらの知らない、時には潜在意識も引き出してくれる。無知で甘い自分に落ち込みもする。。。
例えば、日が暮れてもいつまでも砂遊びをし、シャベルで穴を掘るのが私たちのような立場の人だとすると、編集は早々に切り上げて家に帰って行く、いつまでも子供でいられない事を知っている。
要するに、大人と子供の縮図。
企画は、編集の人の介在で大幅に変貌する。どのようなかたちになりたがっているのかを、冷静に、もうひとつの目から、作品から読み取ることができる。砂場でどこの穴を掘っているのか解らない時に、的確に誘導できる。もちろんいろんなタイプがいらっしゃるが、編集人の存在は偉大だ。

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2007年8月22日 (水)

描かないで描く

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今日は軒並み、部屋の温度は39〜40度。ただいま34.5度。

ある企業のカタログのイラストを午後からずーっと描いていました。予定では、午前中にはその本番は終わり、注文のファインアートを描き、シルクスクリーンの版画工房に来月か再来月受講予約してあり、それの下書きを考え、明日の打ち合わせの用意、ファイル作成が午後の予定でした。なんと〜〜、陽もくれてこの時間。

まあやっと仕上がって宅急便に今のせました。その企業は銀座にあるので、明日、M社に伺うためお届けにあがれば無駄なco2も出さずに済んだはずです。環境に対し、ごめんなさい。

今日描いたイラストの企業は、天然素材を随分昔から追求しており、商品の包装や紙面に渡るまで、徹底したサステナブル方針を心掛けている。ので、参加できて余計に嬉しい。そして私も随分長い間ここの無添加スキンケア商品を使ってきて、今も愛用中。出来上がったらHPに掲載しますので観てくださいね。かなりの数で全国に配られると思います。

そこで、秋の果物たちをかごにもりつけてみました。オータムン色を出し、秋の恵みの味わいを伝えたい。
また、どツボにはまり、8枚程描き直しました。これ、オジリナル作品だったらとっとと構図変えたり、モチーフ転換します。 この構図でモチーフでラフが通ったのでこれをなんとしても完成させねばなりまへん。

いつもは水彩ベースにミクストメディア(いろんな画材を混ぜ合わせ)材感だすためにひっちゃかめっちゃか使います。それは誌面でのテーマとイラストの使われ方によるのだけれど、こってり感が合うと思うと、時に林檎が油(画材)を必要とする時もある。
天然素材で勝負している今日の企業は、透明感、水を大切にする会社です。なのでたっぷりの水を含ませた水彩のみにしました。 そして水彩のみっていうのがまた難しい!時間が勝負だから。水彩のにじみ具合、乾く時間を計算しながら筆を運ぶので、一枚描き始めると、電話にもでられません。刻一刻と水は紙に吸収されて、蒸発していく。でもって、いかに描かずに描くかが、水彩のみで描く場合に、とくに目指しているところです。

味覚も、香りも季節感も、極力描かないことで、描きあらわす。絵は線が命だと思うのです。線の集合体だから。
そんでもって、いつもの悪い癖で、いいものを描きたい、描いてやろうと欲張って、紙に気合い入れ過ぎてしまい、描けなかったのです。こういう悪いパターンを今までいっぱい経験してきたので、うまくいかないときは、気を抜くことで上手くいくことを自然と学びました。 

気分転換を何度として、意識を変えます。もがきの末、めでたく、秋の香りと味覚をのせた、気が抜けたいい具合の絵ができました。(と思います 汗)

来月配布されます。デザインも良かったら、来年のイラストレーションファイル(玄光社刊)に載せたいと思います。 年末に今年やった仕事のなかから4点選ぶのですが、もうそろそんな時期だ〜。たくさんいい絵を描かなくては〜。
という、描いてやろう根性はまた失敗のもとやで〜、いうてるやろ〜!


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2007年8月21日 (火)

LOHASな夕べ〜アンニャ・ライト×辻信一 「豊かさ」を考える〜

Dscf5000辻信一さんのゼミに潜りこんできました、というのはウソで、イベントに伺ってきました。シンガーソングライターであり世界的な環境運動家のアンニャさんの辻さんの通訳を交えた出産と子育ての話が主でした。その中には、今の温暖化に向き合う大切さは避けられない課題としてのプロローグが、やはり根底に流れています。

とにもかくにも今はオーストラリアに住むアンニャさんの家族ぐるみの日々生活、暮らしかたの「豊さ」に圧倒されっぱなしでした。アンニャさんの6才のお子さん(女の子)が木登りして頂上の方で枝葉に混じりながら、歌を歌っているらしいのです。自然の中でバランスを取り戻す、体の栄養と同じく、魂も栄養をとることが大事だということ。
このような困難に思える時代に子供を産む事が不安と思えど、子供というものは、生まれた瞬間から希望を持って生まれてくるものなのです、それを出産してみて痛感したというお話など、たくさんあった心に残る言葉のひとつひとつ。

自然というのは最大の豊かさのシンボルで、タダ(0円)。しかしいつからか世の中は、自然に対価をつけだした、お金で買う、奪われ奪い合う、そこから争いが起こった。貧富の格差が生まれた。
環境運動家というのは、お金をかけて得る社会で言われる豊かさを、諦めた人々だなって思われがちですが、自然とつながる、そこに価値をおく、お金でかえないものを得るという豊かさに根ざす環境との共生で、お金に価値をみいださないということは時間も余ってくるわけで、すべてが忙しくなくゆったり流れる、スローになれる豊かさのことを辻さんと共にお話されていた。

最後に、学生にも見えるほどの若い弁護士の男性の質問が印象的だった。「僕は毎日、夜遅くまで仕事し、とても忙しい日々を送っています。(その男性はトークも後半ごろ遅れて入ってきたので目についた)お金に価値を求めないスローとは反対の日々。でもとても今の仕事にやりがいを感じているし、お金がないとフェアトレードのものも買えない、NPOやNGOに支援してあげたくてもできない、自然衣料を買いたくても買えない、そう思って仕事している。(環境運動に関して積極的に学ぼうと行動されてるようだった)こういう生き方はどうですか?」と。アンニャは「生き方はそれぞれ自由ですよ。何かが全てではありませんから大丈夫ですよ」と答えられてた。私はこの若い弁護士の言ってることにとても共感してるところがある。

これから自分がやっていきたいことを考えると、それがどんなに小さいことでも、私にはこれからたくさんのお金が必要だという結論に達している。お金に全てを置くつもりもないし、過ぎたる贅沢をしたいとも思わない、逆にそのようなことには年々興味がなくなってきた。

それより、手放す事の、自由さ、豊かさに目覚めだしてしまった!

個人の生産者を支援し、同じ様にフェアトレードの生産者を応援し、生活に必要なものはなるだけ買ってあげたい、義援金だって毎月なるだけ募金していても、今のこの私の経済力ではまだまだ足りない、もっともっと流してしてあげたい。応援したい人たち、お店が世の中にたくさんある。究極、お金でできる部分の、自然を取り戻したい。そのために(お金を得たいと思えば得るために)仕事をたくさんしなくてはならずスローにはなれない。

ただ、心のありかたに関しては、スローでありたい、自然を尊び、自然に寄り添いたい。今日質問していた若い弁護士さんの言いたい事が私には痛い程つたわってきました。

でも思います。お金って豊かさの真逆にある、こわい生きものであることを。。。
それもふまえた上で、今、私は お金持ちになりたいと思っています。

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2007年8月20日 (月)

東京都の道、自転車ならご案内できま〜す。

070820_171503本日36度。今日は有楽町と御茶ノ水で打ち合わせと営業。相変わらず炎天下の中、水筒を持って、ケッタ(自転車)でえっちらおっちら向かいました。片道とろとろ漕ぎで約1時間15分。これはかなりのトロさです。早く漕げば銀座まで40分弱、御茶ノ水まで1時間もかからない。東京都どこでもケッタ移動、道がだんだんわかって来た。恵比寿、白金、麻布、六本木、銀座、東京、日本橋、御茶ノ水、四谷、新宿、池袋・・吉祥寺でも国立でも郊外でも、車で走る道を自転車で、近道、抜け道、気持ちのいい森林浴道、大体ご案内でけますよ〜ん。笑

連日のこの灼熱の太陽の日射しで、私の腕は畑仕事してる人並みに真っ黒です。違うのは筋肉の付き方です。自然の中で労働する人の筋肉は、ジムなんかでお金落して無理矢理つけた安い筋肉ではない。日本人が昔はみな持ってた、とても自然な美しい肉体のかたちです。

左手に比叡山で修行を積まれた高僧、滋賀県の阿闍梨様にいただいた数珠をいつもはめてるのですが、そこだけが白い。その数珠をいただいたのは一昨年。何かの木の実でできたひと粒ひと粒をつなぎ合わせた数珠は、今ではまるで私のからだの一部のような味わいになってきました。体につけるアクセサリーがとかく苦手な自分だが、この数珠だけは飽かず、続いてるのが不思議なくらい。とてもやさしい気配を感じる。そして祈りを感じる。 ま、とにかくその数珠をはめてる肌だけが日よけで白いのです。

数日描いていたオリジナルの作品、今朝出かけるまえにフィニッシュ。自分が好きだなあと思える物ができあがった。嬉しい。自分が好きだなあと思うものと、人がいいと思い、選ぶものは違っていることがままあるが、自分でつくったものを人にどう思われようが、自分で好きと思える。そのようなものを生み出せたときは、幸せだ。
でもこれは、友達から頼まれたモノクロ作品ではない・・・。ガ〜ン。

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2007年8月19日 (日)

陶・楽描き茶碗

Dscf4992Dscf4993Dscf4987在籍させていただいたまま、もう2年以上ご無沙汰ご無礼している三鷹のウインズ陶芸研究所(現代陶芸家、板橋廣美先生 主催)。4年程前に板橋先生の工房の庭で楽焼させていただいた茶碗。陶芸はこれまた大変奥が深く、難しいが、比較的速攻で出来上がる楽焼きが好き。楽焼きが時々無性にしたくなる。久しぶりにウインズ陶芸研究所に伺いたくなる。

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2007年8月18日 (土)

つれづれ

070813_124601コンビニにコピーを撮りに行く。こらえきれず一口サイズのロールケーキを買う。さっそく家に帰って上下の歯の隙間1センチくらい開くようになったので、かじろうとする。無理だった。あとちょっとというところでこれ以上歯が開かなかった。しかもかじろうとすると、抜糸したばかりの下あごの傷が開くように痛い。そして耳の下の骨折した骨がまたきしむ音がする。まだ2週間残ってる流動食生活、こんな横着、担当医師にはもちろん内緒だ。諦めてキッチンテーブルに置く。しばらく仕事机に向かって作業する。行ったり来たり。んー、やっぱり食べたい。甘いものが欲しい。雀に餌やるくらいの小ささにちぎって、上下の歯の隙間から放り込む。口に含んで溶かしてのみ込む。あまり味がわからないけど、まあ美味しい。このロールケーキを平らげるのに時間のかかること。まだもの足りなくて、こないだ小豆を黒砂糖で煮たものが冷凍してあったのを思い出す。自然解凍し、フープロにかける。豆乳を加えて鍋に移し、あたためて、ちょっとした豆乳しるこをこしらえて口に含む。ん〜、幸せ。まだ歯で噛めるようになるには当分時間がかかるということを身をもって知る。今、一番食べたいのは、白いごはん、なすときゅうりのぬか漬け、味噌汁。そして無性に太刀魚の塩焼き、もしくは煮付けが食べたい。噛みしめたい。ひー、ふーっ。

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2007年8月17日 (金)

たやすいことはなにひとつない

070727_172304まぶい(死語)大阪記録写真をまた一枚発見。未来を担う、希望の星くんたちよ。

今日の太田総理は、全国一律ゴミ袋1枚200円法案について熱血議論。果てに議員投票で可決された!「やった〜〜〜〜〜!」思わず両膝両手たたいて拍手した。よく頑張ったぞ、ルー(大柴)〜〜。
この深刻なゴミ問題は、記録的な地球の温暖化と同じで、もう待った無しだ。どうやってゴミを減らし、地球の資源を長持ちさせるか。何より、地球はゴミ捨て場じゃない。
今この瞬間から、今日明日にでも、先ずは馬鹿馬鹿しい過剰包装麻痺から脱却しなくてはならない(まずは企業から)、避けられない問題だろうに。現実の国会でも是非実現してほしいものだ。

友達のお祝いに依頼いただいた、モノクロのドローイングを描いている。これがまた難しいな。調子よいときは何枚でも描けるように思うが、途端に次の瞬間描けなくなり、何枚描いてもカスばっか。どうやって描いていたのかわからなくなる。

こないだの大阪の展覧会の絵を描いてるときのこと。もがきながら描き、一枚出来上がるごとに眺める。「絵ってほんま難しいわ」ってつぶやいていると、GW上京した母親が脇目で眺めつつ、「なんでも難しいさ」ってつぶやく。

長年自然と対話しつつ、田畑、海の恵み得てきた人間の言葉には重みがある。

なんでも難しいか〜。そうやなあって思って、また今、画面に向かってる。

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2007年8月16日 (木)

「9エイド」武器を持たない国からはじまる、地球救済への一歩

Dscf4982本日の家の気温38度。岐阜県では日本の記録をだす40.9度観測。地球の温暖化は、ものすごいスピードで深刻さを増している。人間がもたらしたこの記録(地球の悲鳴の結果)を真剣に受け止めたいと思う。


「空とぶブッタ」正木高志著を読んでいる。今の日本にとって、その国に生きる私たちにとても大切なことが書かれている生まれるべくして生まれた本だと思った。深い深い母のような愛情をも感じるこの本を、これから何回も私は読む事になるだろう。
自然を神と崇めてきた日本人の心のこと、その心を破壊しようとしている憲法九条改正のこと、国家プロジェクト、争い、今私たちが抱えている地球の問題の数々。
日本国憲法九条とは地球とともに生きる私たちの心を説いた、地球規模の憲法だったのだ、ということが、この本を読んでいてわかった。

以下、「空とぶブッタ」の中から、断片的に引用した文節。
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(前略)
古い人たちのねらいは憲法改正にある。世界的な右傾向化の追い風にのって、目の上のコブだった九条を破棄することが今や夢ではなくなってきたのだ。
追いつめられれば追いつめられるほど、人は死を恐れなくなる。
これは千載一隅のチャンス。
もう一押しすればやれるかもしれない。
古い人たちの、危険すぎる、火遊び。
だけど火遊びは家事のもと。
遊びが遊びでなくなってきつつある。

民不畏死(人々が死を恐れないような社会になってしまったら)
奈何以死懼(死を恐れない人々の行動を止めることはできない)

欧米社会に対するイスラムの人々の抵抗はこの老子の言葉を証明していると思う。
北朝鮮は今や失うものがないところまで追いつめられている。
(中略)

予感がにわかに現実味をおびてきた。
危機はほんとうに高まっている。
(中略)

ではミサイルはいつ発射されるか?
それは、日本が憲法九条を棄てたときだろう。
(中略)

平和はそのあたりに落ちているものではない。平和はクリエイトするもの。
ぼくたちは与えられた平和の夢からさめて、いま、ここ日本で、自分たちの手で、現実に平和を産み出さなくてはならない。
(中略)

和を尊ぶのが日本のよき文化だった。
(中略)

少なくとも日本人にはその使命がある。平和はどうしても日本から発しなくてはならない。
前の戦争に責任があるからだ。東アジアに日本が平和をもたらしてはじめて清算されるだろう。
(中略)

日本人が「武器を持つか捨てるか」を選ぶ日が、いよいよ近づいた。
日本人が国民投票で、戦争の道を捨てて平和を選ぶことは、計り知れないほど大きな影響を世界に及ぼすことになるだろう。どんなに大きな希望と勇気をもたらすだろうか。

「空とぶブッタ」正木高志 (有ゆっくり堂) より引用
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今、日本社会のなかでこれまで声を上げなかった動かなかった人々が、九条問題に関して動き始めているという。これは社会的ムーブメントで、戦争を知らずに育った私たち、与えられた平和の中に生きる私たちみなの心がひとつになって、平和をつくりだそうとしている今まさにそのときだと言う。
九条を応援(ナインエイド)するための自発的に起ったこの社会現象を、9エイドムーブメントと呼ぶとし、9エイドはこれから国民投票に向けてますます活発になると。9エイドが成功したらそこからひとつの地球がはじまる。戦争によってもたらせるのは、この日本人が神として崇めて来た自然をこれ以上滅ぼし、生き物たちを殺していくことだけ。これ以上、地球を傷め悲鳴をあげさせてはならない。

日本人である私たちが今、自分の手で平和をつくりだす。
この小さな奇蹟の一歩、奇蹟を起こすムーブメエントがもっと広がり、
『武器をもたないことではじめて成り立つ対話』を、
日本から世界に向けていくことが私たちにできるはず。

そこからすべてが始まる。これ以上、命を(人間を含めた自然という命)を犠牲にはしたくない、絶対させない。
「空とぶブッタ」をたくさんの人に読んでもらいたいと思う。手にとってもらいたいと思う。そして感じてほしい、一緒にイメージしてほしい、私たちのまわりで今、現実に起っているさまざまなことと、この地球の未来の命を。それは私たち一人一人の命のこと。

この本に出会って、日本国憲法九条を守っていく大切さ、その義務と責任のことを、私も国民の一人として、あらためて強く受け止めることができた。

本日、日本で最高気温が記録された。
国民投票が近づくにつれ、深刻度を増す緊迫した地球の温暖化、危機感が迫る今日だからこそ、未来に向けて。

「空とぶブッタ」正木高志 (有ゆっくり堂)600円 
売り上げの一部は環境保護活動に寄付される。

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2007年8月15日 (水)

本日、記録的猛暑 40度!

1_22_2写真は昨日五反田に向かう途中の目黒不動尊と、たくさん卵があるからと実家から送られてきた卵による茶わん蒸し。

煮干しと鰹節で濃厚なだしをとって作る。醤油をもっと足したくなり足した。見た目プリンみたい。まだまだ歯は使えず流動食なので具はなし。ストローで吸うのは気がひけて、恐る恐る少し歯をあけてスプーンでゆっくり流し込み、飲み込む。我ながら、うまい!

とうとう本日、部屋の中の温度計が40度を指しました。午後、外出するときは38度。帰って来たらなんと40度!すげ〜〜〜。さっそく部屋中の窓を開け放し徐々に36度まで落ちる。今も34.5度。
この記録的な地球の暑さ(悲鳴)は、自分=人間のせいなのだ。この地球の悲鳴に目を背けず、受け止めたいと思う。

連日のこの猛暑の中のケッタ(自転車)移動で、腕が真っ黒に日焼けしてしまいました。こんなに焼けたのは何年ぶりだろーって思います。しかし36度超えると、それが例え40度でも体感温度が変わらない事に気付いた。うちの部屋の中は、温暖部屋です。でも風がよくとおって空も見えて桜の木も見えて気持ちよい。

昨日NHKで終戦の日を前に、平和を祈るうた番組がやってました。ニューヨークから中継で坂本龍一が登場。暴力的にも聞こえるすさまじい工事の音が鳴り響く9.11事件以来のグラウンド・ゼロの前で。「この工事の音が、プロジェクトが希望につながるものであればいいのだけれど、僕にはそうには思えない。9.11以前より高いビルを建てるという。それは復讐にも思える。」と複雑な心境を語っていた。聴いてるこちら側も複雑なやるせない思いである。

終戦記念日の今日も、平和について、NHKで憲法9条についての討論の特番がおこなわれている。
『軍隊を送れと指令するものが戦場に行くべきだ。武器を持てと、軍隊を送る指令をするのならば、自分の家族も連れて、先ずは己が戦場に行ってこい。」
同感だ。戦争を知らずに生まれた私たちだけど、ある日突然、愛する家族、人々が、目の前からいなくなる、そんなこと、想像しただけで気が狂う。

憲法9条改正、反対。


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2007年8月14日 (火)

お盆まっただ中

Dscf4978今日はベランダから見上げた朝の夏空。
怪我をしてから、夜7時か8時を超えると無性に眠くなってしまった。朝は6時くらいに目が覚める。が、ここが悪いところで、ここからまた2度寝をしてしまうのだ。合計10時間くらい寝てる。それでも足らなくて昼寝して、合わせたら12時間いってるかもしれない。寝ないともたいないタイプなので普段の睡眠時間も平均7〜8時間は最低寝る様にしている。不眠症というか、眠りが浅いのよねえ。要するに質が悪い睡眠なのだ。夢ばかり観ていたり、寝返りをよく打ち、だから10時間も12時間も寝ないともたないのかもと思う。
でも、怪我をしてから睡眠がやや深くなった気がする。つまり気持ちいい。で、いくらでも寝ていられるのがもっと気持ちいい。

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2007年8月13日 (月)

暑中お見舞い申し上げます。

Dscf4972今日は昨日より3度低く、33度。これくらいだとじっとしていても汗だくということはありません。流石に昨日、一昨日はぬぐってもぬぐっても汗が流れ落ちる始末でした。うちのマンションはベランダ側の前がふきぬけで、桜並木が走っています。建物がたっていないので風がびゅびゅん入って来て気持ちいい。雲に元気があってまさに夏真っ盛り。

午前中病院に行き、榊を買うため祐天寺駅前の東急に向かう。相変わらず、無事だったケッタ(自転車)でえっちらおっちら移動する。いつも通っていない路地裏を行くと、こんなところがあったのかというほどに、祐天寺は町全体が、すぐ隣が賑やかな中目黒とは思えないくらい、スローな「街」ではなく、「町」なのです。
東京で都心で住むなら住みたいという町ではあったものの、住みたいと思っても、御縁がなくては家というのは見つからないもので、これ、ほんとうに不思議なんだけど、御縁がある街は一発で物件がみつかるし、ない街は、どれだけ粘っても、見つかりません。歓迎されていないのです。そして、御縁のある家はずっと待っているのです。
冬がきたらちょうど1年になるけど、横浜から都心に戻ろうと物件探しをしているときは、この好きな町にもし歓迎されなかったら(御縁がなかったら)どうしよう、と、他の町(街)でばかり物件を探し、最後まで祐天寺は来ませんでした。それくらい私にとってこんな都心にありながら、スローな都会離れした、憧れの町だったのです。

というわけで、晴れて祐天寺に住まいが決まったときの嬉しさは今でも覚えています。そして、未だに祐天寺に住わせていただいている、その喜びを噛み締めています。ときどき夢みたい、と思うくらいです。
祐天寺はほとんど目黒区なんだけど家は目黒区と世田谷の境にあって、世田谷区。世田谷の様々な活動に興味がある私はそれもちょっといい。坂道が多いんです。目黒区。
のどかな町並み、祐天寺のにある自宅廊下から、夏の空を眺める昼下がり。
*写真はベランダからではなく、マンションの廊下から見える空

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2007年8月12日 (日)

圧倒的な豊かさ

Img543今日、部屋の中は、36度を記録しました。汗が流れる流れる。でも気持ちがいい。ベランダも台所の窓も、玄関も全開にして、入ってくる風と、鳥のさえずり、盛夏まっただなか、蝉の懸命に生きる鳴き声に耳を傾けながら、郷里を思いつつこのお盆を過ごす。クーラーで閉じた部屋では体感できない豊かさが在る。自分とつながっているこの地球の息吹が聞こえる。

本日は、「100万人のキャンドルナイト」呼びかけ人代表、環境運動家の辻信一さんがトークショーゲストの「水になった村」@ポレタイ社でした。辻さんの思想に心底共鳴してやまない私は、辻さんがこの映画を観てどう感じられたのか、すごーく興味があったのだが、お盆帰省で残念ながら伺えないな〜と断念してたのでした。がしかし、このような始末(顎骨折の治療)により、伺えることになった。これも御縁だ。嬉しい。

辻さんのトークは、やはり、思想は何時間でも聴いていたい。毎日私も学生と混じってゼミ受講したいと思わせるくらい共感できるものだった。

この映画は今年一番の大傑作です。僕は圧倒されました、この映画のなかの豊かさにです。ダムはムダ。こんな馬鹿らしい開発と言う出来事が日本のあらゆるところで未だに行われている。
豊かさってなんでしょう?GNP(Gross National Product)は国民総生産、これが上がると人々は豊かになるのかな?GNH(Gross National happiness)、国民総幸せこそ、僕は必要だと思う。本当の幸せ、豊かさはGNPでは計れない。そういう意味でも、この映画の中にはGNH(Gross National happiness)、圧倒されるほどの豊かさが溢れている。今、若い人たちの意識が変わりだしている。この映画を、僕はたくさんの若い人たち、学生に観てもらおうと広げたいとこれから、思っています。
と、大絶賛でした。
私も思います、今年一番はもちろんのこと、今世紀の最大の映画に間違いないと。共有できて嬉しい。

仏蛇が好きなようで仏教国についても語られており、ことに仏蛇、仏教の思想に惹かれて止まない私は、そこにもかなり共感。
最後にいい言葉をいただいた。
「豊かだから与えるのではない。与えるから豊かなのだ」
来れてよかった、会えてよかった、想像以上の素晴らしいトークだった。

--------「例え明日地球が滅亡しようとも、私は今日林檎の木を植える」--------
辻さんの存在も活動も思想も、全てが好きな私は、辻さんを観ていると、この言葉を反射的に思い返す。
今私にできる些細なことからを、これからもずっと、続けてゆきたい。

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2007年8月11日 (土)

桃日和

Dscf4970Dscf4971今日は編集のOさんが午後からいらして、お見舞いがてら桃を貰いました。そのあと、夜は友達のみわっちも打ち合わせで来てくれて、なんと、バナナとこれまた桃をいただく。たいへん嬉しい。豆乳+桃をシェークを朝晩飲む。昼間はバナナを仕入れて豆乳とシェークして飲んだ。ビタミンが足らない気がするので青汁も始めようと思う。実家で育ててもらってるケール、もっと育たないかな〜。

イラストを描かせていただいた「初恋のきた道」がDVDになるそうです。奇麗な映画だな〜とは思いつつ、自身はそこまで入っていけずにいましたが、イラストのクレジットが入るのが嬉しい。とねさん、(とねさんの引き続きデザインだったら、尚更 嬉しかったけど)ありがとう!

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2007年8月10日 (金)

桃ちゃん日記 2

Dscf4955午前と午後、病院に行く。午後は口腔外科で、骨折した耳に近い下顎の骨がひっつくまで、上下の歯が開かない様に針金で全部の歯を矯正のように固定する日でした。他にも前の歯茎に4か所麻酔をかけて固定釘を入れて上下の歯を開かないように針金で結束する方法があってどっちにするかという話になり、よくよく聴いていると、両方とも歯の内側はもとより自由に歯が磨けなくなるのと、歯の隙間からの流動食と言う。見た目が悪いのはいい、でも、歯が磨けないのは嫌だ〜。上下の歯を噛んだまま(歯磨きのとき、内側を磨く時は極力開かずに磨くということで許す)開けないように注意する、あと、夜寝るときは無意識で開いてしまうかもしれないため、顎と頭を包帯で巻き付けて動かない様にすること。しかし、数日後、もし歯の噛み合わせのズレや、骨のひっつきが悪かったときは、針金の固定は強行になります。という約束で固定処置は許してもらった。とにかく上下の歯を閉じたままでと。

そんなに私に口を閉じろ、喋るなって言うのか〜、ええ分かりましたよ、喋りませんよ。この日々喋り過ぎな私に(左手人さし指も打撲で動かしづらいが右手は助かった)、「口を閉じろ、黙って絵を描け」と神様が言って下さってるのでしょう。(と、する)
でも、唇を横に伸ばして「イー」っていう表情しながら喋ることは普通にできるのです。あ音、お音?は縦に口を開けなくてはならないので言いづらいけど。
昨日、お見舞いに来てくれた友達が、懸命にあ音が聞き取りにくい私の話を聞き取ろうとしてくれていた姿が愛おしかった。つうか、終始、その友達より全然喋っていた。あかんわ〜。

病院で出される流動食もなんか不味そうだから断って、自分で支度することにした。フープロ持ってるし、流動食のようなものは「やさしいごはん」製作中にたくさんやってきた。だから、かのちゃんにいただいた岡山の立派な「桃ちゃん」も、豆乳と混ぜて立派に桃シェークにした。「やさしいごはん」のなかの桃シェークだ。このウマいメニュー、どれだけつくっただろうか。違うのは黒砂糖を入れてないことだけ。やはり、歯磨きが完璧にできないかもしれないから必要以上に糖分がとれない。
とにかくお腹がすいてるから、余計に美味しい。ほんとお腹すく。
あー、桃の味覚を噛み締めて味わいたい。桃の種のまわりについた果肉を食べたい。

本来ならばお盆休みに、今日、三重県に帰っていた。これも足留めされて、こんなに食べ物を愛おしく思い(思っているつもり・・)、自然の恵(命)の絵を描きたいと思っている自分が、長らく固形物を食べれなくなる。これって、自分の意思では得られない体験だ。
噛んで食べれない人の気持ちを知ること、自然の命をいただくことへの感謝、流動食で生きるということ、私にとってはひとつの経験で、この経験は大きい。
3週間の流動食を終えても、しばらくはおかゆ中心で、完璧に固形物を食べられる様になるには2か月近くかかるって言うし。
晴れて、自分の手に触れた愛おしい自然の恵みたち、それらの命を調理するとき、口に入れて噛み締めるとき、味わえること、その時、自分がどう感じるのかに今、とても興味がある。きっと味(味覚)というものに対しても今以上に思う事があるだろう。
だから今のこの貴重な体験を楽しむつもり。「イー!」

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2007年8月 9日 (木)

桃ちゃん日記

Dscf4951仲良し同業者のかのちゃん からこんなに立派な桃をいただいた。お供えして楽しんでてお盆の帰省に家に持ってって、家族でいただこうと思って楽しみにしていました。

ですが、が〜ん、今日自転車で坂道走っていたらブレーキがきかなくなって転倒して、顎から地面に着地(めっちゃ、とろくさい〜〜〜)。骨が折れるような独特のきしむ音がして、起き上がったら地面も服もかばんも流血で飛びちってる。その時は動こうと思っても動けないくらい痛くて唸り、うずくまる。
でもって、近所の親切な方が救急車を呼んでくださり、病院で顎を縫って(顔じゃなくてよかったー)、骨折したあごは全治1か月のコルセット治療で今日から3週間の流動食。なんと桃ちゃんが食べれなくなりました。でもまったく普通に暮らせるし、元気なのでご心配なく。
何より、かのちゃんのおばあちゃんの実家から取り寄せてくださったこの桃ちゃんが食べれない事が、悲しい・・・.

丁度あくびするとガクッと音のする、折れた左顎の骨なのですが、口を動かす部分に近いからか、完全に治るのに半年か1年かかるっていってた。
「あまり口を開けたりしないように、なるたけ閉じていてください」だって〜笑!これ丁度良い、おしとやか修行だとしよう!しゃべらない努力、修行?!
生まれて初めて乗った救急車は結構興味深かった。もちろん、その最中は激痛に頭パンパンでしたが。今麻酔もきいてて楽勝。ってことで今からまた営業に久しぶりにいってきます。しかし食べ物(固形物が)1か月弱食べれないのが悲しい〜〜。
みなさんも自転車気をつけてくださいね、とくに下り坂、くれぐれも。こんなとろい事故を起こさない様に。

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2007年8月 7日 (火)

つながり

070805_095301070804_151601「水になった村」を友達が二人、観にいったんだってメールくれて、嬉しかった〜。

先日、この映画のプロデューサーである映画監督の本橋成一氏が、植物も動物も人間も、みんな命はつながっている」とおっしゃっていたけれど、命のつながりを、この映画を通して一人でも多くの人たちと私も共感できたら、嬉しいなあと思いました。

写真は写メの記録のなかから。近所の郵便局に飾られた子供の絵と、先日の「水になった村」公開日に、映画の中に出演されてる、岐阜県から上京されたおばあちゃん、廣瀬ゆきゑ さんを大西監督が東京駅まで見送るタクシーを見送る本橋成一氏とスタッフの方々。

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2007年8月 6日 (月)

水 いのちを宿す

Dscf4944Dscf4947一昨日の「水になった村」公開日、徳山村にかつて住まれていたおばあちゃんの対談をふまえた初回を見た後、「水になった村」のプロデューサーであり、大西監督の師匠であられるカメラマン、映画監督の本橋成一氏と、この映画を共につくられた映像の方やスタッフの方が昼食されてた席に、スタッフの方にお声をかけていただいて、図々しくも同席させていただいたのでした。蒼々たる制作に携わるメンツでしたが、本橋成一監督の斜め前には映画を観にこられた、画家の茂田井武さんの娘さんが座っていらしゃった。すごすぎーーー。

坂本龍一の音楽とともにつくられた、チェルノブイリ原発事故その被災地であるベルラーシに粘り住む現地の人々を写し取ったドキュメント映画「アレクセイと泉」の話や「水になった村」の逸話などもうかがえて贅沢すぎる体験でした。

故郷に生まれた人は、どんなにここは危険だからとかダムに沈むからといわれたって、簡単に自分の生まれた土地を捨てることはできない。
政府に勧告されてまでどうしてここにいるのかと監督が尋ねると「私たちは命とともに水を借りてきた。この土地に還さなくてはならない。」と言ったという。

その台詞に監督は衝撃を受けたという。そして私も当然、ものすごい衝撃を受けた。そんな発想が湧くだろうか、この利便性の暮らしのなかで、水道水から流れる水、この一滴の水の集結によって犠牲になった自然、村、人々の日常があることすら忘れがちな今までの自分に、と。

「水になった村」でも「アレクセイと泉」でもそれを写し取ったカメラマン(映画監督)の奥底にあること、伝えたい事は同じなんだよとも言っていた。
『アレクセイの泉』水の話です。坂本龍一の音楽もすごく良かった。人間は植物や自然とともに生きていて、この地球上にある命はすべてつながっている。そして、自分の生まれた故郷を思うことの人間の切なさと美しさがそこにはある。

監督を囲んだ会話に入れてもらいながら、映像や写真というドキュメントの強さが絵よりもすごいと思ってしまう時があるんですよ(私は映像や写真をみていると、何かを記録しようとするときは、やはりかなわないんじゃないか、と、思ってしまうときがある。)と、お話したら、「絵でもそれはできる。なんでも同じだよ、残れば(人の心に)いいんだから。」とおっしゃってくれて、この上なく勇気づけられました。確かになんでもいい、一行のキャッチコピーが世界や何かが変わる瞬間もあるだろうし、一枚の絵がそうなるときは確かにあり、私自身、その奇蹟で動かされて来た。
他にもいろいろ、ものをつくることのお話や、思いいなどをうかがえて幸せでした。
そして根底にあるのはぜんぶ、「命」の話だった。

私がこの「水になった村」を何度でも観たいと思ったのは、ものをつくることの勉強を、基礎を、その感動を、一から学ばせてもらいたかったというのも大きくありました。初めて「水になった村」を見た時、そのことが(私が学ばなくてはならないものつくりのこと)この映画にはあると思ったのです。ぼたもちつくりの時もそうでしたが思いもがけず映画制作に関わった様々な人から、この映画にこめた思いを垣間みれたことはかけがえのないものでした。というわけで、あと何回見に行くかわからないけど、この映画の中にもっと入っていきたい自分がいます。

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2007年8月 5日 (日)

目の前に生きていてくれること

070804_145001070804_161701昨日は「水になった村」の公開日。初回の舞台挨拶はその映画の中に出演されてた徳山村のおばあちゃん、廣瀬ゆきゑさんが上京されていて監督と対談。写真は劇場ではなく、上の階で大西監督の徳山村を追った写真が展示されてる部屋の模様。観る毎に発見がある。

こうやって映像って観るんだって思った。ジョンカサヴエテスの生誕100年のとき六本木のシネ・ヴィヴァンに連日カサヴェテスの異なる全作品を観るために通っていたことがあたけど、同じ映画を何度も繰り返して観に行くことはしたことがない。カサヴェテスの映画は劇映画だけど自身の愛する妻、ジーナ・ローランズ、家族を題材に撮り続けてたその世界はそういえば私にはドキュメント映画に見えた。
今日の映画でまた発見したことはいくつかあったが、映画が終わったあと、今はそこに出演してたほとんどのジジババが他界された中、今でも元気に生きていてくださる88歳のおばあちゃんが舞台に上がられたときは流石に野放しに涙が流れた。ただそこに立っていてくれるだけで、ぬぐってもぬぐってもとめどもなく涙が頬をつたう。「ありがとう」。
今まで映像のなかでこらえていたこみあげていたものが一気に流れ出したみたいに。徳山村が水に沈むまぎりぎりまで、国からの補助金で建った徳山村豪邸といわれる街にたてられた家々には住まず、自分の生まれ育った村、その土地に最後までねばって暮らした映像の中のおばあちゃんが、今、目の前にいてくれること。それは映像というドキュメントではない。目の前の現実。生きてきてくれて有難うといいたくなるくらい、生きているってことがこんなにすごいんだって思わせてくれるくらいに、目の前の現実が奇跡でないことに感動した。

感動のドキュメント映像をどれだけ繰り返し見ても、目の前の現実にはかなわないって思った。
それは映画館の中にいた人たちも同じようで、みんなの感動がひとつになったみたいに、前の人も隣の人も、いっせいに涙をぬぐっていた様子からも感じられた。自身が生まれ育った村が、日本一のダムという開発によって今は水に沈んでしまった。監督に映画をみた感想を問われたおばあちゃんは、「もうわしはボケてしまって、みんなが求められるようなことよう話せへんの。」とたどたどしく綴りつつも、村であった街に暮らす人からみると不便にみえるような暮らしの日々の思い出を、それは現実にあった本当のことです、そんな暮らしが私たちの村の暮らしでした、と丁寧に大切に話して下さりました。やっぱり行ってよかった。あのおばあちゃんはまた、今は徳山村ではない岐阜県の家に帰っていかれたけど、こんなに遠い東京にきて下さってみんなの前に姿をみせてくれたことが有り難かった。もうほんと、たくさんのことがこのドキュメント映画のなかには溢れている。15年もの間、徳山村のジジババの生きる姿を撮り続けてくれた大西監督に、感謝したい。

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2007年8月 4日 (土)

水になった村

Dscf4892Dscf4893Dscf4895Dscf4903Dscf4904Dscf4921Dscf4923Dscf4924Dscf4926Dscf4928Dscf4929昨日は東中野のポレポレ座の「水になった村」のプレ上映に伺いました。そのあとのゆるりタイムのパーティで水に沈んだ徳山村で大西監督が食べてたぼたもちを出されるというので、ぼたもちつくりのお手伝いに午後から行ってきました。この映画は今はもう地図帳から消えてしまった水に沈んでしまった岐阜県徳山村、日本一のダムができることになったカメラマンの大西暢夫監督が育った隣町、その愛おしい村が水に沈むそのぎりぎりまで自分の生きた村で生活したいとおじいちゃんおばあちゃんの暮らしを15年かけて追ったものを編集したドキュメント映画です。この日本一のダムは今年いよいよ完成されます。初めて試写会でこの映画に出会ったとき衝撃で、しばらく何も手につかないくらい、私のなかに強いものが走りました。私もこの素晴らしいドキュメント映画を広めることに協力させていただきたいと思っていたものの、上映に向けての事務所での山のような雑事があると聴いて、めっちゃ伺いたい気持ちだったんですが、目の前の大切な大阪展覧会を控えていたため、伺わせていただくことができませんでした。やっと今、伺えるようになったので、昨日はプレパーティにふるまわれる監督のお手製のあんこを包むぼたもち作り、これなら私もお役にたてるかも〜って速攻伺いました。あまりにもみんなでつくるぼたもちたち、楽しいのとその光景が奇麗だったので全部写真のせちゃいました〜。もちろん映画も二回め観てきました。やっぱりその都度、込み上げるものがって涙をこらえるシーンがいくつもありました。東京で今日から公開、岐阜、大阪、長野でも公開されるようです。是非、足を運んでみてください。私たちにとってかけがえのない宝ものが、そこにあるように私には感じられます。今日もまた徳山村から上京されたという映画のなかに出てくるおばあちゃんの監督との対談があるようなので、またまた、観に伺いたいと思っています。

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2007年8月 3日 (金)

ノーミュージック・ノーライフ

070731_164101「真っ白と黒のゲルニカに、たくさん色を塗れたら、目の前に、真っ白と黒のゲルニカに、たくさん色を見たいから、新世紀だろうがさ、根本は何も変わりゃしない、見てみなよ、独裁者が叫ぶ革命はエゴさ、目をそらさずに見てほしい、本当にある事から、目の前に、何枚のゲルニカのレプリカを、描いては焼いたのさ」中村一義「ゲルニカ」ERAより

無性に中村一義のERAを聴きたくなって思いきり聴いた。ノーミュージック・ノーライフのくせにそこに入るとなかなか抜け出せなくて、BGMで聴けなくて仕事にも生活にも支障をきたすので、引っ越しを重ねる都度、ほとんど処分してきた。でも、後悔して時々買い直したりして何やっとんのーって感じ。
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「風とロック」の立ち上げ人、CMディレクター、クリエィティブアートディレクターの箭内道彦さんを見ていると、まさに「ノーミュージック・ノーライフ」。ソウルがロック、目つきがとことん格闘家で私にとってはロックミュージシャン、いつも心打たれている。尖り方もフアックユー加減もまさにツボ。
そんな箭内さんがイラストレーション誌のなかのイラストレーターの登竜門とも言われる誌上公募「チョイス」の審査員をされた。そのあとの感想がまたたまらない。
「イラストレーターになりたかった。若い頃の僕。だけど、最後まで「自分の絵」が見つけられなかった。いま考えるとたぶん僕はイラストレーションが描きたかったんじゃなくて、イラストレーターになりたかっただけなんじゃないかと思う。学生時代「チョイス」に何度も応募した。すべて落選。この前、リリー・フランキーさんと飲んだ時、イラストレーターになることが重要なんじゃなくて、どんなイラストレーターになりたいかが大事なんだよね。」と言っていた。描きたいものを描く、ああどうしてそのことはこんなにも難しいんだ。どうしようもなく苦しかった。中略。
20年振りの憧れのチョイスとトラウマに対峠することになった今回の審査。あの頃とは反対の場所から。量の膨大さに驚く。中略。
ある雑誌の中で隔月でたった一人の人間がたくさんの思いをドキュメントと受け止めた、大きな誤差を含んだドキュメンタリーでしかないんだ。描いているだけで楽しい、それも真実。戦略的に描く、それも真実。それぞれの人生を賭けて。絵を描く人はきっとそれだけで美しい。その苦しみから逃げ出さないだけで美しいんだ。
「チョイス」を信じるな。「チョイス」にありがとう。
---------イラストレーション NO.167 審査員 箭内道彦「ぼくのチョイス」インタビューより

ブラボーブラボーブラボーーーーー!!!
音楽(ロック)が好きで映像がとことん好きで、自分のトラウマと向き合いつつ、体当たりで自分探しをしてた、そんなアートディレクターの箭内道彦の人生のドキュメントに心揺さぶられる。箭内さんのその生きる姿が私には美しい。そこに宿るロックスピリットに打たれて止みません。

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2007年8月 1日 (水)

記 録

Dscf4810Dscf4823Dscf4824Dscf4833Dscf4835Dscf4867Dscf4871Dscf4872Dscf4866Dscf4827 きれい とてつもなくいとおしい。

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