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2007年8月24日 (金)

二年ぶりに土をこねる

Dscf5066Dscf5067今日は、三鷹市にある現代陶芸家、板橋廣美氏の工房、ウインズ陶芸研究所に伺ってきました。実に2年ぶり。板橋先生のウインズ陶芸研究所は美大の陶芸科や陶芸学校を卒業した人々も、また、プロの陶芸家の方々も、もう一度、 板橋廣美の下で陶芸を学びたいと、時には海外からも作家がいらっしゃる世界的な工房です。日比野克彦さんも作りにきたり、中上健次の娘さんも在籍していた。私は20代後半のときに陶芸家の友達の紹介で在籍させていただきました。在籍する方々のレベルが高いのはもちろんのこと、板橋先生の月に一度の研究会の講義が私にはとてつもなく衝撃でした。それは陶芸だけに限らずすべての表現に通じる内容で、生き方を示唆してきます。

しばらく絵が描けなくなるほどショックでした。そして先生の目、無言のなかの緊張感、つくることが怖くなって途中行けなくなったときもありました。

とにかく、ものごとの本質を刺すような、核心に迫るような言葉の数々、先生の発した言葉は一字一句逃さないよう、板橋廣美語録も作っていたほどです。その存在と、作品が、どんな画集みるより本を読むより衝撃的だった。
今でも、作品をつくる、描く時、先生の言葉をよく頭に浮かべています。
私が今までの人生のなかで、一番影響を受けた、生きている芸術家かもしれません。

国内外の様々なコンペでも高く評価されている先生ですが、コンペに出す事で戦う事、走り続けることを生徒に誘発しますが、「結局は、生き方である」とも言っていた。作品を産み出す一人の人間という生き様。
器の究極は『くぼみ』である、というのも先生の思想です。手の平も、葉っぱも究極の器であるといいます。

また、京都発の走泥社(そうでいしゃ)活動でで名だたる、陶芸の世界にオブジェという概念を入れた前衛陶芸家、八木一夫の流れも汲んでいます。八木一夫といえば、重度知的障害者への土造形の指導、アウトサイダー・アートの指導に取り組んだことで有名ですが、八木一夫と同じく板橋先生も知的障害者の土への触れ合いの指導を当時は取り組まれており、私も施設に手伝いに行ったことがあります。知的障害者を土と戯れさせる先生の姿、それも衝撃でした。

陶芸はものすごい体力と、気力と、地球の資源を消費します。板橋先生をみていると、この限られた土という資源は、もう、天才がつくるための貴重な資源であって、私のようなものが浪費してゴミを出すべきではないと、土の資源を浪費し無くしてしまうことに、ここ何年かは罪の意識がありました。他の陶芸工房ならそこまで思わなかったかもしれない。
先生の工房はとても神聖な場であるので、絵に傾いていた私は、土の魅力にとりつかれていたものの、そこに伺い、土と向き合う度胸もなかったし。工房に来る人々は土の表現に、人生をかけているくらい真剣で。

でも、ここんとこ突然、ちょっと器をつくりたくなって、伺ってきました。けったで片道1時間半かかった、迷う迷う。しかし三鷹は緑が多く、空気が美味しかった。
たくさん作りました。板橋先生も磁器の鋳込みを、お弟子さんと制作されていて久しぶりにお目にかかれてやっぱり伺えて良かった。友達の結婚祝いには大体、板橋先生の器か板橋先生のお弟子さんなど一派の陶芸家から作品を購入して贈っていたのですが、なんとな〜く、今度結婚するイラストレーターのT君とみわっちなど3組ほど重なり、何をお祝いにあげようかといろいろ考えた末、作品を購入しようと思ったものの、でもなんとなく、無性に自分の下手な作品をあげたくなりました。ヒヒヒ、もう捨てられませんで、チミたち(ゴミにすなよー 笑)。
さてどんな作品に仕上がるか、私も久しぶりに自分のへんてこ作品でごはん食べてみようと思います。(まだ流動食だけど、焼き上がる頃には柔らかい食べ物をいただける予定なので)
今度は上薬をつけに行きます。

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