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2007年10月 1日 (月)

祈りと行

Dscf5405やや肌寒な本日、この季節に応じた気温ということなのかな。

今日から神無月。今日は朔日(ついたち)。お宮参りにいってきました。神無月は神様が無い月と書くが(年に一度、出雲大社に神様が寄り合い、サミットが行われているという)、神様の月ということらしい。というわけで全国各地で本日はお祭りも多い。郷里の三重県でも今日はお祭りで、餅屋に餅を注文し、海の幸を神棚に献上する神さんの日。昔は神社に出店がでて賑わっていた。でもって、お祭りにつき、実家で渡りガニをたくさん茹でたから明日着で送ってくれるという。神様のおさがりですねえ。ありがたや。

このマンションに越してきたとき、神道を本格的に勉強しよう、神棚を祀ろうと決めていたので、前の家で引っ越すまで身大祓(みそぎのおおはらい)を暗記していました。はじめたころは難しくて読み方もままならず、つまづきばかりでまさか暗記できるとは到底思えなかったけど毎日毎日唱えていたら一ヶ月くらいで見なくても言えるようになりました。そのときの喜びといったら・・・。

私が唯一丸暗記して言えるのは般若心経です。般若心経は小学生の頃から毎朝夜、仏壇にお参りする母の隣で覚えたもの。小学校の珠算の試験のときも、中学の中間テスト、期末テスト、高校受験、大学受験、就職試験の時 決まって、あがり症の私は常に般若心経を唱えていました。お陰で立派に名門校受験突破をくぐり抜けてこれました(うそ)。

あとは、一昨年、滋賀県にある比叡山の麓にある、l阿闍梨様(100年に一人といわれる厳しい修行をくぐり抜けてきた高僧の総称)のおいでになる立派なお寺の護摩焚きの行に、御縁あって参加させていただいた時、不動明王へのお経を唱える中、私も暗記して言えるようになりたいと家に返ってきて、仕事机とお手洗に張り付けて毎日唱えていました。近所に世田谷観音があるのを知り、不動明王の護摩焚きに参加したり。世田谷観音には阿闍梨様はおいでになりません。約一ヶ月ほどで言えるようになりました。余談だけど、身につけるアクセサリーが苦手な私が(水晶でも)、唯一からだの一部のように自然に毎日つけれるようになった数珠は、このとき阿闍梨様からいただいたもので木でできた数珠。

あの滋賀県の阿闍梨様のおいでになる比叡山のふもとのお寺の護摩焚きはとにかく臨場感がすごかった。これまた余談だが、こんなに美しい極楽浄土のような場所があるのかと今迄行ったどのお寺よりも感動した。磁場の強さも相当感じた。住吉総本山のあのあたり一帯の磁場は相当なものと思う。日本で三重県以外に住むなら滋賀県に住みたいと思ったほど。不動明王を前に祈る護摩焚きは、ことばで言い表せない感動があります。人々が万感の思いを一言一句、言霊に託し、読み上げる中、阿闍梨様が炎の中に護摩を順次投じる。臨場感もさながら、刹那以外の何ものでもない時間が一時間あまり過ぎる。今年中になんとか時間をつくってまた伺いたく思う。

あとはお墓参りに般若心経とともに唱える光明真言も去年覚えました。
どの祝詞、お経にも言霊の力を感じます。言葉を発してるとき、不思議に力がみなぎってきて、気持がいいからです。

神道(神道大祓全集)の中で暗記したい祝詞があといくつかあります。
自然を神と仰いできた日本人の祈り、しきたりの数々。

毎朝、神棚の榊の水をとりかえて一番水を供えます。塩と洗い米は1日と15日に取りかえる。昔の人は信仰深かったのでどこの家でも普通に行われていたんだろうけど。あと、ご仏壇もあるだろうし、花の水を変え手をあわせもくもくと、毎日続けるのはすごいなあって思います。
暗記も大事だけど、この毎日「続ける」っていう、行い(おこない)の姿を一番、神様は観ているような気がしてなりません。これが行(ぎょう)なのだろうな。
(時々、祝詞を唱えず、参拝だけの日がよくあります。しかも夜は水を下ろすだけで最近唱えていない)

環境問題にしても然り。お母さんである地球は、我が子である人間に論じてほしいのではなく、動いてほしい(行じてほしい)のだと思う。


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