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2007年11月 3日 (土)

おとぎ話のような地球の話

Dscf6023Dscf6018Dscf6025今日は練馬区は江古田にある武蔵大学に正木高志ささん×北山耕平さん(編集者、物語研究家、翻訳家、講演家、作家、プロデューサー)×小林崇さん(ツリーハウス クリエーター)のトークセッションに行ってきました。「木を植えましょう」「空とぶブッタ」に出会ってからというもの、正木さんの追っかけです。

今日はとりわけ冷えたんだけど珍しいとりあわせの3人のトークが聞きたいと、たくさんの人々が集まってきました。北山さんは探究しているネィティブアメリカンの思想、地球は女性、偉大なる母というのを伝える。地球と私たちの意識がかけ離れてから一気に循環しなくなってきてしまった。私たちがこうやって立っている地球が生きている母だと意識するならば、この大地に容易にコンクリートをしくようなことはできない。と話す。
ネイテイブアメリカンは地球上に存在するすべての生き物を「人」に例え、「水のなかを泳ぐ人(魚のこと)、木は根っこのある人、動物を四本足で歩く人、鳥を空を飛ぶ人」と考えるらしい。生きとし生きるものみなつながっていると考えていると。

正木さんも同じ様に、いつしか人間は自分のからだが環境でできていることを忘れ切り離してしまった。昨日食べた食べ物も今日たべた食べ物も空気も全て環境で私たちのからだは環境でできている、環境の一部である人間がどうやて環境のなかに戻っていくか、グラウディングを唱える。木を植えるようになってから大地の喜びを感じるようになって自分も嬉しくなった。そして木を植える様になってから木の側自分は行った(木の側にたって見れるようになった)。今では、出張や講演が終わってから九州の阿蘇に帰ると、家族に「ただいま」というより先に廻りにある木に「ただいま」というんですって〜。お母さんだから愛おしくて愛おしくて仕方ないって。そんで、木々に名前をつけたらしい。ある木は「杉村みどり」ってつけたんだよねえ。お母さんっていうよりおばさんみたいになっちゃったんだけど、愛おしいんだよねえって。

ネィティブアメリカンの研究している北山さんは環境はそこに住む人々の意識の現われ。部屋を見ればその人がわかるように、国を歩けば一国に暮らす人々のありかた、意識がわかってしまう。

日本ほど環境を汚している国はないらしい。空気も大地も山も木々も海も実は世界じゅうでこんなに自然が破壊されている先進国はないらしい。
日本がどれほど汚れているかを空中船が天から眺めてみたら、残念ながら日本は世界中で一番、海が汚れていることがひと目でわかるという。


小林さんは「自然というのは自分で自分を癒す(怪我や病気を直していく力)を持っている。人間が地球のバランスを崩し今その再生能力がなくなって来ている。しかし地球はきっと大丈夫。何億という時間をかけてやがて戻っていけるだろう。
ただ人間は、もう、そう遠くない将来、滅亡するときは近付いているだろう。ようやく地球と共生できるのかもしれない。今、どうやって我々人間が消滅していくかのありようを考える時だと話されていた。
私たちは地球という海のなかに生きる魚であり、母なる地球の力のが偉大。

地球にとって人間はものすごい負担で癌細胞なんだろう。地球の本来持つ治癒力が働けば癌細胞は消えてしまうかもしれない。消えなければ地球が生きれないってことだろう。だから、地球を心配する暇あったら人間(自分等)を心配しろってことなんだろう。
人間という一環境が近い将来滅亡っていう言い方はマイナスに聞こえるけど、地球側や木の側からみると、それらの輝く姿の一部になっていく地球との一体化、グラウディングというふうに明るい未来と捉えられもする。環境に回帰していくグラウディングのありようを人類が今考えるときということだろう。


正木さんはジャンベをたたきながら唄をうたうんだけど、これがまた良い。和む。植樹と似てて、回りに林立する木々が喜んでいるように見えるから不思議だ。

正木さんはインドを長く放浪し、いろんな人と出会い、悟りを得たらしい。インドに旅している中で多くは老人に学び、究極の真理をおしえられたという。随分昔、ダライ・ラマとも話したことがあり、阿蘇の農場に「どうやったらダライ・ラマのように輝けますか?」とたずねてきた人がいたらしい。その回答にまつわる話が興味深かった。

「あれはダライ・ラマが輝いているんじゃないんだよ。あれは究極のセルフレス。鏡の裏を磨くこと。鏡を磨いて自分を映さなければ自分の姿、そのみっともなさ、できることできないことは見えないよね。でも実は鏡の裏(銀色のシールがはってある方)を磨くんだよ。どんどんどんどん磨いて行く。自分をなくしていく。そうしたらどうなるか。。。表側(鏡側)から仏(ほとけ)の光が入ってくるんだよ。降り注ぐ。

ダライ・ラマの輝きは仏の光。 ダライ・ラマでなくともダライ・ラマのような人々にインドで会った。究極のセルフレス(自我消滅)。

という深い話があった。

つーか、正木さんが私にはダライ・ラマだ。まぶすぎる。

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