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2008年4月

2008年4月30日 (水)

永山こども基金

Dscf7186今日はうちの部屋は29度差してた、目を疑った。最上階の東南角だから?っていうか昔作りのマンションだから熱めちゃ吸収するんだと思うわ。

午後一まで仕事して、そのあと図書館にリクエストしてあった永山則夫の文学、獄中手記がてんこもりきてるとメールあったので取りに行く。。

手続き済ませ、さっそうと新宿の世界堂に画材を調達しにいかぬば!と計画たててたが、借りた数冊をめくり数行読み出したらもう最後、たちまち永山文学世界に引き込まれ、図書館内のテーブルに座り時間を忘れてむ読み入ってしまった。

ん〜〜、なんていうか、熱い熱いもがじんじん伝わってきて、永山文学世界にひっぱられむさぼって活字の中に入ってく自分がいて、こんなに引き込まれて文学を読んだのはどれくらいぶりだろうと考えた。詩が特に良い。

中上健次の愛娘さんに実際 聴いたことがあるが、「お母さん(中上健次の奥さん)も世に名だたる作家であったけれど、お父さんと出会い、私にはここまでの熱いものがないと筆を置いたんだよ」という逸話。これを思い出す。世にあまた小説家がいても、こんなに熱いものを持ち合わせた小説家はどれくらいいるだろうと思わせるほど。

そんな永山則夫は、獄中で読んだ文学に対する評論、感想ノートなる「文学章学ノート」というものを死刑後、出していて、その読書量が半端じゃない〜。

新日本文学賞ので永山被告を選出した審査員の小説家でもある佐木隆三は 亡くなったあとの永山被告の読書量をみて恥ずかしくなったらしいですよ。自分は小説家であり、還暦にして永山の10/1にも読書量が満たされていない。残りの人生でどれだけ本が読めるか...って途方にくれたらしい。

その中にも中上健次の書物に対する評論もいくつかあってすごい。熱き者同士だわ〜と思って読んだ。哲学、漢文、詩、エッセイ、戯曲、どの分野の書物にも冷静なしかもすごくするどい評論がひとことふたこと記述されていて、それも唸るばかりの視点。
この人、本当に頭よすぎる。頭が良すぎて自分の存在意味を必要以上に問うてしまったのだ。それで、世の中をよく観ている。教科書にのっていない、学校では教えてくれない、メディアでは報じてくれないような事をおしえてくれる。
学校でも社会でもおしえてくれない、人が生きて行くための営みに到る大切な事を、裁判中、裁判官、弁護士、検察官、傍聴席、しいては世に訴え続けた。
この人の裁判は、ほんとうにすごかったと彷佛させる。


発言が実に哲学的で 世の中を風刺して、単なる犯罪だけを説いてない。歴史のことも実によく獄中で勉強し、「我が身を死刑にしてなくすことはできても、この世に資本主義がなくならない限り犯罪がなくなる事はない」という文句を桃山時代の死刑囚の短歌をひねって歌っていたり、法廷での発言をかいつまみ読んでても、鳥肌たつような、感動する言葉が飛び交う、正直だから余計に胸にくる。目が覚める感覚になる。それに比べて役人じみた発言しかしない裁判官とのコントラストもはたまた。。。

この人の傍聴にいきたかった!ほんとにすごかったんじゃないかと思う。


勉強がしたくてしたくてたまらなかった少年が、資本主義の生み出した貧富の差の犠牲になり、教育を受けられずにいて、読み解きも小学校2年生レベルにも関わらず、獄中で文学に出会い、自分の産まれた時からずっと頭の中で哲学していたことを確認し、文字を覚え書く事を覚え、自分の声を表現しだし、ついに、法廷で経済論に関する詩を英語で述べたりと、人生の意味、犯罪のことを振り返り、表現力をつけていく。

こんなに熱いもの(言いたいことが)がある人ってそういない。

自分の塊は汚職されていると言っているが、私には実に奇麗で澄んだ塊に思えた。作品も供述も、実に正直できれいで強い。

しかし、資本主義が産む貧富の差、それによって与えられなくてはならない教育も施されないこの国のありかたはどうしたらいいんだろう。

神戸連続児童殺傷事件がおきたとき、少年法を改定せよとの高まる世論への手立て(見せしめ)として、未成年で犯罪を起こした永山被告の死刑執行が急いでとりなされたというのはもう無念で仕方ない。
被告人が何故このようになったのかという事をもっと、メディアでもマスコミでも世論でも取り上げて欲しい。名ばかりの虚構、民主主義(実際は国家権力で動いてる)とか、この遅れた日本の人権問題、もっと考えていかなくばと思いました。

というわけで、「永山こども基金」のこと書こうと思ったのだけど、あまりにも永山文学のレベルが高く興味深く、永山事件と社会との関係性に考えさせられ、はたまた教育をうけさせる事のこの国の責任放棄(その罪は裁かれなくて犠牲人が死刑にされるってどうよ?!)などを考えてたらまた次回。

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2008年4月29日 (火)

カーリー・ギブランの詩

「あなたの子は、あなたの子であるが、あなたの所有物ではない。
あなたを経てきたが、あなたから来たわけではない。
あなたと共にいるが、あなたに属してはいない。
あなたは愛情を与えるが、考えを押し付けてはいけない。
なぜならば、彼らには彼らの考えがあるからだ。
あなたが彼らのようになる努力をしたとしても、
彼らがあなたのようになるよう仕向けてはいけない.

〜カーリー・ギブランの詩より

デスクトップを整頓していたら、でてきた。「?」と読んでみる。削除する前に、念のために保存しておこうと思ってここにコピーしました。

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2008年4月28日 (月)

あさりざんまい

123小女子が終漁になった今は、あさりとばか貝(青柳)ととり貝漁が旬の実家の伊勢湾からあさりを送ってもらった。まるではまぐりくらいでかくて、今国産のあさりの7割が中国や韓国から仕入れて海にまいてつりあげて国産と銘打ってるらしく、もっと身が小さいんだけどみんな吃驚する。身もぷりぷりで柔らかく、だしいらずのあさり。まずは味噌汁であさりからでるだしをあますことなく堪能。
というわけで、でっかくてぷりぷりのあさりをたらふく食べた日記。プラス残り物の里芋の煮物とごはんの図。

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2008年4月27日 (日)

連続射殺犯の文学 ー 読んで胸に響くかどうか

Dscf7138図書館に行く途中の民家の庭先に咲く淡い黄色のミニバラがとてもきれい。

永山則夫について調べていると、つく弁護士(弁護士の思想と性格)によって裁判の景色、事件のメッセージ性が変わるのに驚く。永山則夫が年賀状を毎年書き続けて、「今付いてる弁護士を解任するから、あなたが私の弁護人になってもいい。条件として100万のカンパ金を持参すること」と名指しして就任させた遠藤誠弁護士という人に興味が行く。最後には「則夫ちゃん」と呼ぶ程、弁護人と被告を超えた仲となり、永山被告の死刑後遺言通り故郷のオホーツク海に散骨し、死後の印税遺産を貧しいペルーの子供たちに寄付するべく動かれたという。

それで、この遠藤誠弁護士の人柄がまたすごいのだけど、それとは別に担当していた帝銀事件の平沢貞通死刑囚に(サリン事件の青山弁護士の弁護もしていた)関する記事を読んでて、ますますこの国の矛盾見える裁判のあり方、死刑制度廃止について考えさせられることになる。

永山則夫が新日本文学賞を受賞した獄中で書いた自伝的小説「木橋」の巻末にある解説に、審査員をした小説家の佐木隆三の死刑制度について書かれていた文面が心に響く。木隆三は永山被告に死刑判決が下ると分かった日、東京にいたくないと、旅に出たと言う。旅先でいくら酒を飲めど酔えなかったと解説に書いている。作品についての解説に、解説云々よりも、死刑制度に対して多くは語られていた。また連続殺人犯の文学、文学の果たす役割について。

朝日新聞の声蘭に永山被告の死刑判決に対し、最高裁判決を支持する投稿55歳の女性からの投稿からの引用---
「天、人ともに許されざれるものとして、死刑はやむをえないと思う」「世界の動きは確かに死刑制度の廃止に向かっていよう。ならば、殺された声なき声を聞く立場の側も、同じ様に考えなければ公正ではない。永山被告の文学を高く評価し、その特異な作品が死刑という国家の裁決で中断されることを惜しむ声も分かるが、文学はそれほど万人にとって必要か、文学はそんなに特権があるのか」

これに対して文学賞に推薦し、永山被告を小説家として世に送り出した審査員、小説家の佐木隆三の投稿より引用---
「永山則夫は、81年8月の東京高裁判決で死刑から無期に減刑され、「生きる」ことの尊さを知って小説を書く気になったのです。それは同時に、自分の犯した罪の深さを心の底で感じ取ったからだろ思います。いったい自分は何者なのか。どのように育ってきたのか。それを問い続けているのが、「木橋」以来の彼の作品です。自分を見つめる鏡として、文学と向かい合っているようです。文学は万人にとって必要なものではないし、特権を有するものではありません。ただ、あるとき必要になって、文学によって「生きること」の重みを知る人もいるのです。むろん『4人もの生命を理不尽に奪った』者が『生きる尊さ』を知ったからといって、死んだ人は生き返りません。だからと言って、国家が殺して済むのでしょうか。わたしは法廷で『早く死刑にしろ』とうそぶく複数の被告人を見ています。自分の命と引き換えなら何人殺しても同じ・・・という理屈です。こんな傲慢を許して死を与えるのが、国家の役目とは思えません。犯した罪の深さを知らしめ、人間の心を取り戻させるのが真の教育刑でしょう。死刑相当の被告人に、『絶対に仮釈放しない無期懲役』を適用するとか、因果応報を与える知恵が欲しいと思います。とはいえ「木橋」の作者の死刑は確定します。今となっては、生ある限り書き続けることを期待するしかありません。しょせん文学はそれ以上でも以下でもないのです」


「文学はそれほど万人にとって必要か、文学はそんなに特権があるのか」という問い対して、文学の役割と永山被告の出会いについてひととおり述べ、「文学はそれ以上でも以下でもない」とのくくりが、死刑判決への見解とともに心に響く。 それ以上でも以下でもない文学が、万人に必要ではなくても、永山被告にとっては生きる意味を見いだすための、なくてはならないものだった。

文学と出会い、永山被告は変わった。


最後に、審査員である小説家 佐木隆三は、話題性(から選出したと評されもした)から永山被告の文学を選出したのではない、文学に関しては『読んで胸に響くかどうか』それが全てだと言っている。また、『選考委員をして、一人の小説家を世に送り出したことを誇りに思っている』とも。

「木橋」は、胸に響くほどに強烈な作品だった。が、それ以上に死刑制度について書かれた小説家 佐木隆三の所見と、この一文に出会えたことが、私には読む価値があった。

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2008年4月26日 (土)

「無知の涙」 ー 永山則夫という人

Dscf71411968年、19歳の時ピストルで4人を射殺し、1997年の8月1日に48歳にして死刑が執行された永山則夫死刑囚。とある人のサイトで知った。きれいな詩に心が奪われ、また、この死刑囚に執拗に興味が沸き、取り憑かれた様に調べている。同時に彼の作品(獄中にて作家となる)の数々を読んでいる。

作品は小学校2年生ほどの教育しか受けてない人が書いたと思えないほど、細密な描写力と強く心を揺さぶる魅力があり、むさぼり読む。
そこには安易な言葉では語れないほど、すさまじい家庭環境の背景がある。

死刑制度に関して、深く考えさせられた。

永山則夫についてネットで調べいろんな所見記述をみたが、数々いた弁護人、中でも最後に担当した遠藤誠弁護士との一連のやりとりは感動的だった。弁護人、被告人を超えた人間愛があった。「彼の様に哀れな人間のためなら代わりに死んでもいい」と述べた遠藤誠弁護士の心情は、心を打つ。

遠藤弁護士に伝えられることもなく身元引受人を探してる道中で突然死刑が実行されたこと。また、彼が世に出した書物の印税は被害者親族以外に、永山の意志で他の数々の死刑囚を励ましたり弁護するためのカンパ義援金として自らの励ましの手紙と共に送金されていたり、資本主義社会が生み出した貧困の差、それによって牛馬同然扱いの差別を受ける貧しい子らにあてられていた。書く事で、自分の罪に謝罪する意識を得、被害者と遺族への償いを表した。

また、彼の悲惨な幼少少年期を知り、これはたしかに私たち資本主義、社会が産んだ歪みであり犯罪で、永山死刑囚はその代表に過ぎなかったこと、教育を受けていないことや、すさまじい極貧がこのような犯罪(誰もがもってる本能)にたらしめることが、うなずけた。教育によって社会的な常識(不自然な)を受けて来た私たちはぎりぎりのところで、誰もがもっている内なる犯罪性を踏みとどませているのかもしれない。私も。

理性とはこの世の教育から来るものなのかと思う。

死刑制度に関しても、この事実をもってしても(というかこの死刑執行は国の都合によるものが大きかったと言われている)真剣に考えなくてはならないこの国の課題だと思う。この事件を全く知らなかった私もだめだめだが
もっとリアルにこの事件の成り行きを観ていきたかった。死刑廃止について真剣に思う。
裁判中に、小学校2年レベルの教育にもかかわらず貧乏の罪について書かれた作家の書物の一説を裁判長に英語で述べ、裁判官、弁護人らを驚愕させた話もすごいし、弁護士を交えた社会の構造、国家への発言など大変興味深い逸話ばかり。彼が生きた意味は強烈で、彼が社会、国家に対して発言したこ偉業ははかれない程に大きい。非常に考えさせられる人物、事件である。

犯罪者を消す(殺す)のは簡単だ。
往々に国の都合で執行されてるところが無念。神は人を裁かない、国は裁く。

永山則夫の作品の数々は、まだ読み始めの数冊だが、どれもきれいで心を打つ。
「私の印税は世界と日本、特にペルーの貧しい子供たちに送ってください」との、死刑執行直前の遠藤弁護士への遺言だったという。新日本文学賞を穫るまでになったその文学的評価は高く、日本文芸家協会の会員に推薦されたものの、文学レベルは認められつつも殺人者を入会させるわけにはいかないと却下され、中上健次、筒井康隆らがこれに抗議し、会を脱退するという逸話も心に残る。


日本国の死刑制度の是非を問う今、永山則夫という人間が存在したことは一人でも多くの人に知られるべきで、死刑執行と引き換えに彼が訴えたことを、真摯に受け止めたいと思う。日々いかにこの不可思疑な社会構造と国家権力に洗脳されて、本当の事がぼやけて見えなくなってしまっているかがわかる。

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2008年4月25日 (金)

夕空に見とれる

Dscf7126なんて美しい夕空。とっさにシャッターを切る。数日前の空でも未だに写真を観て感動する。

昨日の夕方は雨。久々に代官山の公共スポーツセンターにエアロビクスとヨガのセットがあるから参加しようと着替えて水やシューズ類も支度する。夜7時からなので余裕持って30分前に家を出た。雨が振り出して、レインコートも着て傘さしてチャリチャリ中目に向かう途中、思い出す!そういえば、ヤフオクで落札しようとチェックしていたDVDプレーヤーの終了時間が6時45分じゃなかったか?散々落札し損ねて見逃して来たから今度こそは希望価格でなくとも落札しなくば〜!と急いで家に戻る。で、また着替えて、マクオさんと睨めっこ。希望価格よりやや足出たがやっとこさDVDプレーヤー落札!これで念願の映画「眉山」が見れる〜〜!

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2008年4月24日 (木)

近所の学校

080423_182801080423_183002080423_183501080423_1830043_2うちからすぐの三宿通り入ったところに、世田谷ものづくり学校ってのがあって、夕刻に覗いてみた。ちょうどギャラリーでドローイングのグループ展がやっていて、芳名帳に名前を書くと、なんと知ってる、名前をみたことある同業者が何人もいた。あっ、と思うような人の名も連ねてあった。誰が誰か認識できないのだが、どうやらこの会場に今きて同く観ている人は、絵を描く人ばかりのようだ。隣街の学芸大学だったり同じく祐天寺だったり、池尻や三軒茶屋やらこのあたりの住所が書いてあった。みんな散歩がてら仕事の合間に気晴らしに来てるんだな。

絵は空間を多くとった素描が多く、フレーム(額縁)がないのがよかった。最近、これは私の趣向なのかしらないが、絵に囲み(フレーム)がないほうがいいと思える。絵のタイプにも依るし、見せ方次第なのだけど。どうもフレームがない絵に惹かれる。一時期は逆にフレームにすごく惹かれた。それも天然の白木。いわゆるデッサン額縁。
世田谷ものづくり学校は教室内でプレスで版画刷ってたり、立体こしらえてたり、様々なものつくりの人たちの工房としてもあるようで、たま〜に世田谷の区報に、工房レンタル募集って載ってる。おもろい公共施設だ。

*近所の世田谷ものづくり学校。工房があったりカフエがあったりパン屋があったり、中が面白い。同業者の鹿野ちゃんと銀座に寿司ランチいったときの写真がでてきた。去年のもの。二人とも間抜けでおもろ〜〜い。鹿野ちゃんは旨いもの食べ歩き仲間でもある。

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2008年4月23日 (水)

つれづれひきこもり

Dscf7079引きこもったらあかん〜って言われてるのに、この2〜3日は部屋という箱のなかにラッピングしてこもってました。映画版の眉山DVDをいただき、早く観たいのだが、うちのマクオさんはうんともすんとも言わず、こうなったらやっすいDVDプレイヤーを買おうと思い、ヤフオクの前でにらめっこしてるがなかなかお値打ちに落札できない。明日こそ〜!ってゆっとる間に、ビックカメラに走ったらえーやん!って話や。しかしこうやってずーっと机に座って制作の衝動を待ってたりするんよね。そろそろ来年の家計簿の仕事が始まる。2008年はいよいよ新緑も迎えこれからって感じのこのギャップに気が引き締まる。(おちおちしてたらあっと言う間やに〜って)

*写真はラフで散乱している机の上。新聞をしいて汚れない様にしてるのが常になった。時々記事を読んでる。マイカップは伊藤慶二先生のもの。白い油絵具がついてしまってる。とらなあかん。

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2008年4月22日 (火)

限界と、光に身を委ねること

Dscf7104*写真は先日の雨の池袋の住宅街。

昨日は、自由制作を夕方からした。なかなか思うようにはいかず、ストレッチドローイングって感じ。
続アウトサイダーアートについて考える。そうだ、あの人たちは描いてるんじゃなくて、描かされているんや。なんやっけ?こういう台詞、最近聴いたな。だれ?作業中くるくる考える。そう、さだまさし やった。「自分でつくっているというよりは何者かにつくらされている気がする」
これや〜。アウトサイダーアートはまさにこれや。もちろんアウトサイダー以外でもこういう人はたくさんいる。何者かにつくらされる作品。がしかし、ここに至るには血の滲むような想像を超えた努力があるのは言うまでもない。でなくば、つくらされる事はないだろう。天才ほど走らされるというくらいだ。走って走って限界までいったところにふと光が差し、動かされるのだろう。そしてアウトサイダーは、はなからそのコツを心得ているように見える。光に身を委ねているように思える。

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2008年4月21日 (月)

描いていて、描いていない

Dscf7115*ベランダから見える桜の木。こないだ散ったばかりなのにもうこんなに緑が茂っている。

いい絵を見ると「うまい」って私はよく表現する。ここで言う「うまい」は巧みというより、心が揺さぶられる「いい」の意味が多い。こないだも絵の前で「めっちゃ、うまい」って見入っていたら、ギャラリーの人が、精神障害者の人の絵と教えてれた。まさか精神障害者の方が描いた絵には見えなかった。それは大人特有の計算が入った絵に思えた。どうやら指導者がいて作者の能力を最大限に引き出しデザインし描かせたものらしい。そういえば現代陶芸家の八木一夫が京都の精神障害者の学園の子供らに創作の指導していたのは有名だが、能力を上手に引き出し(コーディネイト)てたからこそあのような素晴らしい作品等が生まれたと聴いたことがある。指導あってのものだと。ふ〜む、私が今立ち止まってるこの絵等も素晴らしいデザイン、見せ方、指導の絵だった。大人が創ったように計算された所が効果的になってる。ほんとにうまい(いい)。アウトサイダーアート特有の描き手の本能も見える。
帰り道思う、なんであんなにアウトサイダーの絵は、その絵の前から動けなくなるんだろう。堂々回りの感動に陥る。本能が爆発してる、噴火している。あの人達の絵の最大の魅力は、描いていて、描いていないことだ。
これは、天というか自分の声にすべて委ね、再現するのみの行為に思える。

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2008年4月20日 (日)

体を浄化する

Dscf7076方法は、食べ物(断食含む)と体操だろうな〜。先日、区民講座で受講した、華ちゃんのヨガがとっても気持ち良かった。後で毒素が排出されたのか、だる〜〜くなったが、その後、錆びたチャリンコに油注したみたいに軽快!これは毎週でも受講したいものだ。須藤さんのヨガ受講のあとはロイホで、どでかパフェとドリンクバーコースってのもええやん〜!な〜んて、勝手に空想したりして〜♪あいにく今後、今年一杯は水曜日のヨガ時間に予定が入っており、通えなくなっている。ざんね〜〜ん。

目黒でも週2で1時間だけヨガ講座を開講している公共施設を発見し、行ってみようかと思ってる。デスクワークが多い日々なので、こうやって体を浄化する習性をつけたいものだ。多分、通っても週に1度がせいぜい。。。(?)須藤さんのヨガ指導だからこそ+アフターのお茶おまけ付きが良かったんやわ〜。依ってなんだかだ、怠けて家でのらりくらりとなったりして。いや、体を浄化するのだー。

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2008年4月19日 (土)

大島紬を着てみたい

Dscf7094Dscf7096Dscf7101実家からこの前送ってもらったブロッコリーの一種。少量の水と塩で火を通し、納豆をふりかけ醤油、すり胡麻、花かつおをふりかけて食べる。んま〜〜。

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何年か前、奄美に住む大島紬職人修行中の友達がいて、その友達の親方が織った9マルキという大島紬の中でもとても手の込んだ細かい紬があって、その技の鍛錬さに平れ伏して、色も柄もひと目惚れし、母に電話してその感動を伝えて、思いもがけず(というかめちゃ狙って)買ってもらったのがある。以来、これは私の家宝としてずっと押し入れに大事に肥やしにしてある。
仕立ててもらったときも和装仕立て屋がその端正な紬の仕事を見て、はたまた銀座のとある呉服屋で女将がこれは〜って見入っていた自慢の品物。一年に一度、芸術品としてタンスの奥から出しては見とれて、また仕舞うの繰り返しで、大事に大事に肥やしにしてきた。こんなの勿体なくって、一生に一度着たらいいだろうとしか思ってなかった。しか〜し、ここんとこ無性〜〜に着たくなってきた。

自分で着れるようになって、この着物に見合う帯や小物を一式そろえたくなってきた。着物に足入れると破産しそうだ、先立つものがな〜〜〜い。そこで、ただ着れるようになる、というのではなく、365日着物で生活してるようなマダムに教わりたい。コーディネイトから自らお手本みせて指導してくれるような教室がいいなと、でもって少しでも安いとこ〜。となるとなかなかない。コーディネィトを教わって自分でも見立てれるようになると、お値打ちのいい掘り出し物がみつけれるようになるやも。
林真理子みたく、季節ごとに銀座に着物買い付けに行く様な人に憧れるわ。家が建つんじゃないかって思うわ。私はとりあえず、この孫にも衣裳の伝統工芸品、大島紬を自分の手で着て、銀座を歩く。銀座のギャラリーに行く。これがでできたら幸せ〜〜。

というわけで、今年中に袖を通せるか〜?が目標で教室(ただし個展が終わってから)探しています。

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2008年4月18日 (金)

眼鏡にさよなら

Dscf7075昨日、視力矯正手術レーシックを受けた。こんなに術後(手術も)が大変とは知らなかったよー。特に普段コンタクトをあまりしない人にはハードな手術だったのかも。述中吐き気がしたしその吐き気は一晩続いた。おかげで痩せた。

手術後も目にはっさく剥いた汁が飛び散ったみたいに痛いと言うか、滲みて涙が止まらず目があけれず、目が開けられないので帰り道も、何回も道ばた痛み止め目薬の点眼に立ち止まり、目がうっすら開くまで待って歩いての繰り返し。部屋も電気をつけると目が痛いので暗闇で、字も読みたくても目にはっさくだから読めないしメールもインターネトでもきずただ横になて30分置きに3種類の点眼薬液をつける。ので眠ってはいけないのだけど、吐き気がして寝れない。明くる朝もこんな状態のままなのかと恐ろしかったが、目があいた!字も読めて安堵。

視力が上がったのはとても嬉しい有り難い。でも、レーシックはもう2度と無理や〜。
ちょっとずつ買い集めてきたセルフレームの眼鏡たちがなにげに恋しいので、サングラスに作り直すか、老眼まで大切にとっとこうと思う。

ということで今日もこれ以上目を使うネット(プラス仕事も)できないので終わり〜〜。

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2008年4月17日 (木)

中国内モンゴル植林〜宮脇昭先生に学ぶ〜

Dscf7086_2今年も様々なNGO NPO団体が中国 内モンゴルに日本から植林に行ってくださいます。
行ってくださいますっていわんと、自分いけ〜って。

せめて中国からの輸入でまかなわれている割り箸を使わない、そして寄付で思いを託しました。
1万円で一本木が植わり、写真を送ってくれる。

今や5人に1人の花粉症も(これは国内のスギ、ヒノキの人工林もあわせ)、黄砂も光化学スモッグも全部私たちがやった中国の木の伐採が返ってきてるんやもんね。

80歳にして現役で木に登り植林し続ける宮脇昭さんが中国に木を植え終わったあとに、若者たちと未来に祈りを込め、竹炭を空に放つ人々の姿には後光が差して見える。私も一度でも宮脇昭さんと植林を体験したいと昔から夢みつつ、いつも遠くから観ている。
ちゅうかこの宮脇昭さん格好よすぎ〜

そのモンゴルは、チベット同様、私的にとても心惹かれる場所である。

ほんと動いて行動される方々に頭が下がります。ご無事と未来に祈りを込めて、感謝。

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2008年4月16日 (水)

ヨガ日和

Dscf7082Dscf7087作家のSさんが永福町の体育館でヨガを教えてる今日はその日で、参加させてもらってきました。関節の毒素を排出するポーズが多く、絶えずぎっくり腰をする私には有り難い1時間半の授業でした。すごいよSさん、あのヨガ特有の両足を太ももに乗せるあぐらも組めるし、指導も上手で分かりやすかった。今日は生徒さんは少なめで30人ちょっとだったらしい。

お香焚きながらヨガポーズのお手本見せつつ、静かに誘導するSさん。ヨガやってるとインド行きたくなるだろうな〜って指導受けながら思った。Sさんに授業後質問すると、最近やはり行きたくなってきたので来年あたり飛び立つやもしれないと言う。へ〜〜、インドに呼ばれてるんですね。インドは呼ばれた人でないと行けないと横尾忠則が言ってたのが印象に残ってる。私はどうやら呼ばれてないらしい。

その後、個展一ヶ月を切ったSさんを引き止め、近くのロイホでデカパフェとドリンクバーで4時間もお茶に引っ張った。制作の邪魔してしまった。。。ガンジス川の川の流れにのみ込まれる人生について(いかに上手く川の流れに乗る事ができるかがテーマ)。今日もガンジス川の流れに乗ったロイホでのひとときということだったと言えようか・・・うそ。ごめんなさい。Sさん展覧会楽しみにしてるし、制作がんばって〜!(って人のことゆっとる場合ちゃう。)

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2008年4月15日 (火)

文句ない天気

Dscf7066今日はどこから見ても「文句ない天気ですね〜」とラジオからナビゲーターの声。

ボニーピンクを観ていたら誰かに似てる〜〜。めちゃめちゃ似てる〜〜、昔から思ってたんやこのこと、ちゃんと考えてみよう一体誰やっけ?ってこないだなって、思い出した、田中ちゃん(女)やん!って思って田中ちゃんに「ボニーピンクに似てるって言われへん?」メールしてみたら、「よく言われる」と・・・いうことだった。ちゅうことは、Tちゃん(男)もやっぱり逢う人逢う人から、南こうせつに似てますねっ(ヅラかぶせたらまんま)て言われてるんやわきっと。

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2008年4月14日 (月)

近所の鉢植えに遅咲きの桜

Dscf7064白くて可憐。
さだまさしの映像をユーチューブで追っかけていたら、南こうせつと一緒に歌ってる画像がでてきた。南こうせつ、誰かに似てる〜〜。ふむ〜〜、仕事しながらぐるぐる考えててハッと思い出した。Tちゃん(男)だ。Tちゃんにヅラかぶせたらまんま南こうせつやん!これはTちゃん知ってるみんなは気付いてるんやろうか。Tちゃん元気やろか?

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2008年4月13日 (日)

バカ貝の名前の由来

Dscf7052今、貝の漁が盛んで郷里から今年獲れたての伊勢湾のバカ貝(青柳)を送ってもらった。でっかいアサリとともに。伊勢湾は干潟が多く貝類がとても美味しい。今年のバカ貝はとってもでかくって身も柔らかくでバカ貝故にバカうまだった。普段はあさりのが好物であるけれど、今年のはバカ貝もどっこいなくらい。

東京でこれ以上旨いと思った貝類に出会ったことはないくらい柔らかくて大きくてだし要らずの味わい故、漁期の4月後半から5月になると、朝昼晩とあさりをたらふく食べたいがために、実家に帰っていたこともあったほど貝類が旨い。伊勢湾でとれる海の産物で最も好物なのは小女子(こうなご)。小女子は別名いかなごとも言い、本場である大阪の明石からは、釘煮にするのか、商人が伊勢湾の小女子が旨いと聞き、水揚げ漁業市場に買い付けに来ていたこともあったほど)。
小女子がダントツで伊勢湾で好きで、この時期も帰ってきた。それから、いわし(今や幻となっている)、あさり、海苔、わかめ。
バカ貝は東京では青柳として寿司ネタとして有名だ。口をぼけーっと舌を出してるからバカ貝というとか。

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昨日仕事しながらもう6〜7回も繰り返してみているDVDを流していた。脚本が素晴らしいのだ。それで役者の演技もいいんだけど、役者が男女ともに美しい。そのなかの一人の男性の役者がテレビに映っていてまじまじと見ていました。やっぱり美しい。これは明らかに与えられたものだ。笑 その後自分で磨いている。

こないだある書物の中に、目に見えない物や、元来聞こえない物を聞こえる力を与えられる(神通力)霊能者とかシャーマンと呼ばれる人について書かれていて、そういう方々はその能力を世の人の為に使うようになされていて、そのように高次元から誘導されていくと書いてあった。凡人でもちょと見える人や霊力があってそれを訓練して高めていくのはいいが、やがて能力がある一定以上になると、それは同じ様に与えられた能力故、人の為に役立てるようにしなくてはならない、違うことに使うといけないとか書かれていた。(格闘家がその力を誤って使ったらいけないのと似てる)

それで、この美しき役者についても同じような事が言えるのだなって思ったのです。美しく生まれた人は、それを世の人の為に役立てねばならないのでしょう。もちろん、見られて楽しませてなんぼの世界故、表現力も身につけなくてはならないのだろうけどさ〜。美しい外面にそぐう表現力の鍛錬それが修行なんだろうけど。

とにかく凡人以上の能力を与えられた人というのは、それがどのようなものでも、みなの為に使い、与えなくてはならないのだな〜。さながらこの美しき男子の風貌という能力も同様に、ふむふむと確認するように昨日テレビに見入りました。

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2008年4月12日 (土)

春 爛 漫

Dscf7055今日はまたまたいい天気で、街中散歩したり用事すませたりしていたらあっと言う間に、陽が暮れてしまった。この土日は仕事で明日も明後日もひたすら描き、あとは自由制作にいそしむ計画でした。

が、今からようやく一本目の仕事にかかります。明日は違う仕事をひとつ仕上げたいところです。その合間に、自由作品の制作はできるのだろうか。と、気を引き締めなおす。

昨日の報道ステーションで六ヶ所再処理問題の特集が組まれていましたね。随分突っ込んだところまで取材して放映してて全国ネットの番組なので影響は多大なんじゃないかと期待します。さっそく、私も番組に感想をメール投稿しました。
関心度が高く評判よければ第2弾、第3弾とつながると思います。続きが見てみたいです。テレ朝には相当圧力はかかりそうだけど、めげずにマスコミの力をこういう時にこそ存分に使っていただきたい。

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2008年4月11日 (金)

仕事がはかどるはかどらない

Dscf7043今日は暖かくって気持ち良かった〜。仕事と作品制作あるが家にいるのが勿体無くて図書館に本返却に、食料買い出しに、チャリ修理に出かける。外国産のチャリはもう辞めようかなあ。一度壊れだすと大変だと街中のチャリおじさん(大竹伸朗のジャリおじさんじゃなくって)が言っていた。部品が取り寄せで専門店でしか修理できないし、今日も祐天寺でブレーキ修理してスタンドの取り替えは中目黒にと、チャリ屋を往復した。

街中走る人みてると、ママチャリのが長持ちしてる感じする。もう幾ランクも上の、なんとかバイクという専門自転車は別。古いママチャリは見ても、この手のルイガノやプジョーの外国製チャリはくたびれたボロボロなものは見かけない。維持できないんだろうな。観た目は可愛くてもやっぱ今乗ってるやつは中途半端なんよね。

でも祐天寺のチャリおっちゃんは、ママチャリは丈夫だけど、いらないものがたくさんついて重いから、ちょっと遠くまで走るにはこれはいいよ、って言ってた。はー、しかし、一旦ガタきたら方々メンテしてキリなくなってきた。

今お仕事をさせていただいている福音館書店の「母の友」の見本誌を送っていただいた。相変わらずクオリティが高いいい雑誌で見入った。内容が素晴らしい。大切なことを地味ながら、丁寧に末永く伝えている。誌面作りに参加される描き手は、絵本の会社故絵本作家も多いが中には憧れのイラストレーターの先輩もいらして、沢野ひとしさんなんかもいらっしゃる。笑えるけど背筋が伸びます。精魂込めて描かせていただきます。「母の友」古い歴史あるいい冊子です。

ある同業者の方のコラムに「今日は仕事がはかどりました」ってあって、なるほど、確かに普段の印刷(イラスト)の仕事はラフさえ決まればさくさく前に進んでいくやもなあと思った。仕事というのは〆切もあるし、一定の流れが出来上がっている。
ただ、展覧会の絵は、〆切はおなじようにあれど、なかから何かをしぼり出すような感じで、はかどったと感じたことが今までそういえば、ない。こっちは経験が少ないから?


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2008年4月10日 (木)

祝*ダライ・ラマ14世来日

Dscf04642008.4.10/ダライ・ラマ14世会見

終始非暴力を提唱するチベットの偉大な政治家、仏教徒(チベット仏教最高指導者)、僧侶でもあるダライ・ラマ14世が来日された。

「私が悪魔かどうかはあなた方が判断してください。わっはっは。私には角は生えてません。ぐわっはっは。中国に伝えてください。ダライ・ラマは独立を望んではいないのです。わっはっは。ダライ・ラマはそんなのでは(あなた方が思うような悪い奴では)ないって伝えてください。ぐわっはっは、ははは〜〜っ」

この笑顔、平和だ。ダライ・ラマ14世を見て微笑んでる場合ではない中国、チベット情勢だけれど。素晴らしく徳のある方だ。

さすが、ひたすら鏡の裏を磨く、活仏 ダライ・ラマ法王。

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さだまさしの世界に魅せられる今日は、「おばあちゃんのおにぎり」という児童書を読む。さだまさしのおばあちゃんの思い出によるこれも実話からなる。

巻末のあとがきの言葉がまた深い。

生きる事に意味はない。人生に意味を見いだそうと懸命に生きる戦いこそが人生で、生きる事は自分自身との壮絶な戦いである。厳しい戦いを生き抜いた人ほど自分の苦労(戦い)を人に語らないものである。それを終始、語らなかった さだのおばあちゃんから学んだと書いてあった。

ちやほやされてもうぬぼれるな。感謝しろ、感謝。が口癖の語らないおばあちゃんの話。

と、徐々にさだ作品を鑑賞しだした昨今、偶然にも本日はさだまさしの56歳の誕生日ですって。

おめでとうございます。生きて今後も何ものかに描かされる物語、歌で愉しませてください。

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2008年4月 9日 (水)

何者かに作らされている さだまさし

111「償い」作詞:作曲/さだまさし

どうしたらこんな曲が詩が物語が書けるのだ。
この曲をはじめて聴いたのは5〜6年前の暮れ、大掃除していた手を止めて、立ちっぱなしでテレビの前で固まって見入った。歌は3分間のドラマというけどこの3分間の中に人の一生や想いが壮絶に描かれていて、ドラマではよく泣くけど、この3分間のドラマでは原稿用紙1000枚もの長編小説を一気に読んだあとのような、どっと疲れとともに、なんとも言えない涙がでてきた。
加害者と被害者の両方の気持ちと、それを傍観する友達の気持ちに感情移入した。

2001年に三軒茶屋で起こった暴行致死事件で、裁判官が加害者に「さだまさしの償いを聴いてみるべし」と異例の発言をしたらしい。

さだまさしの知り合いの実話に基づいて描かれたこの歌は、人間の「謝罪」の姿と「許す」ということに焦点をあててる。


というわけでマイブームは「さだまさし」
幻冬社のカリスマ編集人、見城社長と対談の中で「実は小説家になりたかった」という言葉が響いた。

そして図書館で借りて来た2001年からの小説家(作家)デビュー作品の数々。
その中での言葉。

「自分で作るというよりは、何者かに作らされているような感じがある」


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2008年4月 8日 (火)

ちりぬるを

Dscf7034桜散っちゃいましたね。昨晩からの大雨で東京は、というか、うちのベランダから見える桜は散ってしまいました。


昨日の深夜番組で、プロフエッショナルの流儀の再放送がやっていた。WEBデザイナー中村勇吾。すごく引き込まれた。一クライアントの仕事を43日間かけてアイデアを出す過程を追う。

中村語録
「なんか気持ちいい」を大切にする。独学が強み。試行錯誤を楽しむ。巡ってきた仕事は一生に一度の仕事と思って向き合う。

経験から得た自らの言葉に説得力がある。最初はこの方の外観がデザイナーなのに(ムーミンみたいにぬぼ〜っと見えて)パッとしなくて、人気ADの佐藤可士和みたいな華やかさもなく、ぼーっとみてたら、最後にはこの人自身から滲み出る(何度でもだしのとれる昆布やスルメのごとく)魅力に魅了されていた。。

今やニューヨーク近代美術館MOMAのサイトも手掛け世界的な期待を背負う歴史的なWEBデザイナーみたいだけど、作品もすごいなーって思ったけど、やっぱりいい作品つくる人はその人そのものが結局は作品。

故に今回の中村勇吾さんがこんなにすごい作品をつくる人だというのも納得と、勝手に腑に落ちていた。

あと、絶望って絶好のチャンス(こういう言葉は世に出尽くしてるが)なんだなって、改めて痛感した。

たぶん、相当な絶望と挫折。大きければ大きいほど大物になるチャンスがあるかもしれない。また、チャンスというのは、絶望や挫折のなかでこそ隠れていて、真理や答えは、絶望や挫折のなかでしか見えないものなのかもしれないととつとつと考えた。もしそうなら、たちはだかる困難に文句は言ってはいけないのだろう。むしろ感謝すべきなんだろう。大きければ大きいほど感謝?

佐藤可士和の時もそうだったなあと鑑賞しながら回想にふけっていたが、今回の中村勇吾も同じく、絶望の淵に立った時の作家の心境、その中で自分で掴んだ光、それを語る時の表情はとても心に突き刺さった。その暗闇が今の彼等をつくったこともよく伝わってきた。


その絶望と挫折から落ちる暗闇は、自ら落ちるものでもなく、与えられるものなんだろうな。

目の前のことを一生懸命やること、そこからというのもこの番組の中で学んだ。

実に収穫の多い緊張した一時間でした。

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2008年4月 7日 (月)

本日の先生

Dscf7021そう、好き嫌いでは計れない、出会う人はすべからく先生。学ぶことばかりのあんぽんたん修行の日々。

本日の先生は、有り難いことに5年ぶりにお仕事を依頼下さった、F社の編集Kさん。本文の打ち合わせは15分。そのあと2時間近く学びの時間でした。好きな絵で学ばせてもらってその上お金もらって、おまけにこんな貴重な話をただで聴かせてもらう。

恵まれてるよね。自分に言う。

そのあと家に返って来てガソリンスタンドの兄さんの接客の対応。とあるクライアントのプレゼンに落ちても、原画返ってこなかったり、連絡するまで連絡なかったりの中、プレゼン落ちた後、原画も丁寧に梱包返却してくださり、いつ今度御縁があるかもわからない中、一筆書きに、プレゼンに提出されたデザインのカンプを一枚と名刺まで添えてくださってある。最後まで丁寧な対応に、仕事に対する対応の今さらながらお手本を見せてもらう。そして宅急便の人の笑顔に学ぶ。

ほんと恵まれてるよね。

今日はこうやっていい事ばかりだったけど、人とのやりとりの中で落ち込んでしまうときに、かつて自分が誰かにそうしたことが返ってきていたり、はたまた上からポカンと頭を叩かれ、目の前の人が教えてくれてると、有り難いって思えるよう。

いかに与えられているか、いかに恵まれてるかを、落ち込んでるときにこそ、肝心に、不平不満を言ってるあんぽんたんな自分に、厳しく言い聞かせれるようにと、忘れない様にと刻印したい。

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2008年4月 6日 (日)

さだまさしの「眉山」

080403_134002写真は松濤の美術館でみつけた児童画。思わず引き込まれて見入った、心臓わし掴みのいい絵でした。
一昨日、テレビで特別企画でさだまさしの長編小説「眉山」がやっていた。途中から観たのだが、えも言われぬ吸引力のある魅力的な素晴らしい作品でした。ちょっと後半のクライマックスの展開はすごくて顔くしゃくしゃにして泣いてしまいました。なんという切ない物語なのだろう。

でもって、さだまさしさんは本当に人間の気持ちを現すのが上手な人だなと、ほとほと感心してしまいました。彼のつくる歌を時々耳にすると、手を止めてその世界の中に入っていき、一人の人間の一生を自分もやったような気持ちになったり、歌は3分間のドラマと言うけれど、その迫力をみせつけられることが多いです。
迫真迫る歌と同じく、迫真迫る小説ドラマでした。大好きな常盤貴子が主演というのもまた臨場感増して、演技力ともども素晴らしかった。

さだまさしさんは最近小説を書き出したようで、図書館に作品を全部予約した。多分泣けるものが多いのかもしれない。

こないだテレビで本人が言ってたが、どうして若いときから大人の心理描写がそんなに上手かったのですか?という問いに、「10代のときから、20年後、30年後の自分に手紙を宛てるような気持ちでストーリーや歌をつくってきた。(30代40代50代の自分ならこうするだろうという想像も混じってる)今は、反対に、10代、20代のときの自分に宛てて手紙を書いている」みたいなことを言ってたのが印象的でした。

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2008年4月 4日 (金)

松濤の昼下がり

080403_141701昨日、松濤の能楽堂の近くにあった、池のある公園。素晴らしく静かな、木々の茂るオアシスでした。

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2008年4月 2日 (水)

ボケずに長生きしなはれや

Dscf70171.
年を取ったら 出 しゃばらず
憎まれ口に 泣き言に
嫁の陰口 愚痴言わず
他人のことは 誉めなはれ
聞かれりゃ 教えてあげるとも
知ってることも 知らぬ振り
何時でも阿呆で いるこっちゃ

2.
勝ったらあかん 負けなはれ
いずれお世話になる身なら
若い者には 花もたせ
一歩さがって 忘れるのが
円満に行く コツですわ
何時でも感謝 忘れずに
どんな時にも へおおきに

3.
お金の欲を 捨てなはれ
なんぼゼニカネ あったとて
死んだら 持って行けまへん
「あの人は ええ人やった」
そない人から 言われるよう
生きているうち ばら撒いて
山ほど徳を 積みなはれ

4.
と言うのは それは表向き
ほんまはゼニを 離さずに
死ぬまでしっかり 持ってなはれ
人にはケチと 言われても
お金があるから 大事にし
みんなベンチャラ 言うてくれる
内緒やけど ほんまだっせ

5.
昔のことは みな忘れ
自慢話は しなはんな
わしらの時代は もう過ぎた
なんぼ頑張り 力んでも
身体が言うこと 利きまへん
あんたは偉い わしゃあかん
そんな気持ちで おりなはれ

6.
わが子に孫に 世間さま
どなたからも 慕われる
ええ年寄りに なりなはれ
ボケたらあかん そのために
頭の洗濯 生きがいに
何か一つの 趣味持って
せいぜい長生き しなはれや

〜 ボケずに長生きしなはれや/作詞:加賀自生山 〜
*写真/祐天寺駅近くに咲く山吹

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2008年4月 1日 (火)

卯月はじまり

21今日から四月。春本番の暦に突入です。東京はあっと言う間に桜が開花して散り出して、花冷えの弥生最後の昨日でした。部屋から桜を見られるのはとても贅沢なひとときです。空の青のコントラストと相成って、太陽のひかりも交わって、自然の色合いに心洗われる気持ちです。

ということで、心のスケッチにとりかかりました。

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