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2008年4月30日 (水)

永山こども基金

Dscf7186今日はうちの部屋は29度差してた、目を疑った。最上階の東南角だから?っていうか昔作りのマンションだから熱めちゃ吸収するんだと思うわ。

午後一まで仕事して、そのあと図書館にリクエストしてあった永山則夫の文学、獄中手記がてんこもりきてるとメールあったので取りに行く。。

手続き済ませ、さっそうと新宿の世界堂に画材を調達しにいかぬば!と計画たててたが、借りた数冊をめくり数行読み出したらもう最後、たちまち永山文学世界に引き込まれ、図書館内のテーブルに座り時間を忘れてむ読み入ってしまった。

ん〜〜、なんていうか、熱い熱いもがじんじん伝わってきて、永山文学世界にひっぱられむさぼって活字の中に入ってく自分がいて、こんなに引き込まれて文学を読んだのはどれくらいぶりだろうと考えた。詩が特に良い。

中上健次の愛娘さんに実際 聴いたことがあるが、「お母さん(中上健次の奥さん)も世に名だたる作家であったけれど、お父さんと出会い、私にはここまでの熱いものがないと筆を置いたんだよ」という逸話。これを思い出す。世にあまた小説家がいても、こんなに熱いものを持ち合わせた小説家はどれくらいいるだろうと思わせるほど。

そんな永山則夫は、獄中で読んだ文学に対する評論、感想ノートなる「文学章学ノート」というものを死刑後、出していて、その読書量が半端じゃない〜。

新日本文学賞ので永山被告を選出した審査員の小説家でもある佐木隆三は 亡くなったあとの永山被告の読書量をみて恥ずかしくなったらしいですよ。自分は小説家であり、還暦にして永山の10/1にも読書量が満たされていない。残りの人生でどれだけ本が読めるか...って途方にくれたらしい。

その中にも中上健次の書物に対する評論もいくつかあってすごい。熱き者同士だわ〜と思って読んだ。哲学、漢文、詩、エッセイ、戯曲、どの分野の書物にも冷静なしかもすごくするどい評論がひとことふたこと記述されていて、それも唸るばかりの視点。
この人、本当に頭よすぎる。頭が良すぎて自分の存在意味を必要以上に問うてしまったのだ。それで、世の中をよく観ている。教科書にのっていない、学校では教えてくれない、メディアでは報じてくれないような事をおしえてくれる。
学校でも社会でもおしえてくれない、人が生きて行くための営みに到る大切な事を、裁判中、裁判官、弁護士、検察官、傍聴席、しいては世に訴え続けた。
この人の裁判は、ほんとうにすごかったと彷佛させる。


発言が実に哲学的で 世の中を風刺して、単なる犯罪だけを説いてない。歴史のことも実によく獄中で勉強し、「我が身を死刑にしてなくすことはできても、この世に資本主義がなくならない限り犯罪がなくなる事はない」という文句を桃山時代の死刑囚の短歌をひねって歌っていたり、法廷での発言をかいつまみ読んでても、鳥肌たつような、感動する言葉が飛び交う、正直だから余計に胸にくる。目が覚める感覚になる。それに比べて役人じみた発言しかしない裁判官とのコントラストもはたまた。。。

この人の傍聴にいきたかった!ほんとにすごかったんじゃないかと思う。


勉強がしたくてしたくてたまらなかった少年が、資本主義の生み出した貧富の差の犠牲になり、教育を受けられずにいて、読み解きも小学校2年生レベルにも関わらず、獄中で文学に出会い、自分の産まれた時からずっと頭の中で哲学していたことを確認し、文字を覚え書く事を覚え、自分の声を表現しだし、ついに、法廷で経済論に関する詩を英語で述べたりと、人生の意味、犯罪のことを振り返り、表現力をつけていく。

こんなに熱いもの(言いたいことが)がある人ってそういない。

自分の塊は汚職されていると言っているが、私には実に奇麗で澄んだ塊に思えた。作品も供述も、実に正直できれいで強い。

しかし、資本主義が産む貧富の差、それによって与えられなくてはならない教育も施されないこの国のありかたはどうしたらいいんだろう。

神戸連続児童殺傷事件がおきたとき、少年法を改定せよとの高まる世論への手立て(見せしめ)として、未成年で犯罪を起こした永山被告の死刑執行が急いでとりなされたというのはもう無念で仕方ない。
被告人が何故このようになったのかという事をもっと、メディアでもマスコミでも世論でも取り上げて欲しい。名ばかりの虚構、民主主義(実際は国家権力で動いてる)とか、この遅れた日本の人権問題、もっと考えていかなくばと思いました。

というわけで、「永山こども基金」のこと書こうと思ったのだけど、あまりにも永山文学のレベルが高く興味深く、永山事件と社会との関係性に考えさせられ、はたまた教育をうけさせる事のこの国の責任放棄(その罪は裁かれなくて犠牲人が死刑にされるってどうよ?!)などを考えてたらまた次回。

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