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2009年6月 5日 (金)

生きているだけで

2009_0601ac熊本のカッキーのご主人曰く「人間は生きているだけで迷惑かけてるんだから、どうせなら(人目など気にせず)大迷惑かけろ」。ちょいちょい人に気を使ってしまうカッキーへ激励、大袈裟だけど真理ついてると思う。 そうだ、生きてるだけで迷惑かけてるんだから小さな事にこだわるより、御陰さまで、申し訳ないと図々しく生きるに限る。

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コメント

ささき大臣ではないですか〜。
引用と例えがまた知性の塊で、敬服いたしました。


ちなみにくだんの友達は最近どんどん図々しくなってきたらしく
「悩み事なんて死ぬか生きるか究極それだけのことでしょ?」
「若い頃一体私は何を人に悩みありげに相談してたんだろう。
あれは悩みじゃなかったね。暇だったんだよね」

なんていうておりました。

わたくしも、歳とともにどんどん図々しくなっていきたいでやんす。

んがふふ

投稿: やだ | 2009年6月 6日 (土) 00:54

ごめんやすです。

生きてるだけで迷惑かけてる・・うぅ、そのとおりですね。この話でドラマ「男たちの旅路」(山田太一脚本)を思い出しました。
最終話でタイトルが「車輪の一歩」だったと思います。ストーリーは車椅子の少年少女たちの生き様とうっくつを世間の冷酷な対応を交えて描写する、というシリアスな設定でした。
そこで問題になったのが、人は他人に迷惑をかけないように生きるべきという命題をなんら疑いもなく生きているけれどはたしてそれは真っ当なのか?ということでした。

身体にハンディを背負った方はそうした社会にはびこる通念に圧されてなかなか外に出ることが困難になってしまっている・・
そうじゃなく最低限生きるために必要な迷惑(助け)は大いにかける(求める)べきじゃないか、そうしなければ社会の対応も何も変わっていかないのではないかという問題提起でした。

「最低限、生きるために必要な迷惑」というのはもちろん仮称ですが、こうした文脈で語られると非常に説得力があったんですね。ふつう人がすること-電車に乗るだとか、飲食店でものを買うだとか-は誰しも出来る社会になるべきだし、出来ない社会はおかしい。出来ないのは基底にある「人に迷惑をかけないで生きる」という常識という呪縛にがんじがらめになっているからだ、というわけです。

話が飛躍しましたが、日記を拝見してビビビっときてしまったのでした。

〝申し訳ないと図々しく〟生きる人ばかりになっても困りますが(笑)、臨機応変に譲ったり譲られたり出来る社会になればいいですね~

ふがふふ(サザエさんのまね)

投稿: ささき | 2009年6月 5日 (金) 14:18

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