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2010年3月 9日 (火)

無手の法悦(しあわせ)

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踊りの師匠に口を裂かれ、両手を斬り落とされ、80歳まで生きた大石順教尼さんの「無手の法悦」を読み終えた。一言でこの方自身が生きていた事実が奇跡の、すごい本だった。

弘法大師の命日に亡くなることを夢に見つつ、現実に21日の命日のほぼ同じ時刻に80歳で大往生、息を引き取られたという。

口に筆を加えて絵を描き、文字を描き、日展に入選された書家でもあり、結婚し子供を生んだ後、尼になられた方。

両手を奪った師匠を、恨むどころか「師匠に罪はない、師匠を追い込んだ苦しみが悪いのです、私は師匠を恨みません。どうしたら彼の罪が軽くなるか」と警察官や裁判官に17歳の少女が瀕死の状態で乞い、終身その生き方を貫いた偉業の方。

順教尼さんの教えはたくさんのしかかってくるものばかりだけれど、中でも今の自分に入ってきた教え(言葉)は
「悟ったふり」
「時を待つこと、許すこと、心づけば謝罪すること」
「罪を犯す意地悪な人が悪い人で、やさしい人がいい人ではない。世の中にはいろんな人がいるということをその人たちをモデルにして神仏が教えてくれている。目の前に立った人はすべて自分の先生です。」
「体の障害者であっても、心の障害者になってはならない」
「何事も、逃げようとすればよけいにそれは追いかけてくるもの」


身に積まされる事ばかり。
本の締めくくりには、私のこの手を師匠が斬り落としてくれてなかったら今頃私は、傲慢な踊りの師匠になっていた。私は無い両手で、たくさんの幸せをつかんだと書かれています。

言葉を失うくらい、頭にからだにずしんとくる本でした。五体満足でありながら不平不満だらけ、強欲で感謝を忘れ通しの自分が恥ずかしくなります。このような人が実在していたことが驚きです。その大石順教尼さんの記念館が先月和歌山にできたらしく、機会があれば伺いたいと思いました。この方の説かれた教えをもっと知りたくなりました。


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